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雑記帳

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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

終   稿 

 今月号で、片々草のペンを擱くことになった。昭和四十二年から十年半ーーー。その間転勤のため一時休載、その後隔月掲載という時期が暫くあったが、とにかくこの号で九十九回。
 テーマはその都度違うとはいえ、十年間も同じ人間が同じようなものゝ考え方、感じ方で、”こうもり”の貴重な頁を独占するのも如何なものか、と思って擱筆を申し出た次第。

 ”豚も おだてりゃ 木に登る”というけれども、編集部からも身に余る慰留の言葉を頂いた。たしかに九十九回書けたものが百回書けない訳はないし、しがみついていけば牛のヨダレのように、又なんとなく続けていくことは出来るだろう。

 しかし永井龍男さんによれば「随筆とは心の赴くままに筆を進めたもので、もうやめよう、もうやめようと思いながら,書けといってきた人の顔が浮かんできたり、断りきれなくてつい引き受けたものは雑文・・・」であるという。

 しどろもどろの“雑文”になってしまうよりは、たまたま十二月号で、次に新しく年が更たまるのを機会に、百回ポッキリと切ってしまわないで九十九回・・・・やや余韻と余裕?を残して「白寿」と言うのもいいではないか・・・というのが偽らざる心境である。

 この十余年間、その時々に感じたこと思ったことを書き綴ったテーマが三百数十編、読み返してみると「三年経てば三つになる」といった進歩はみられないが、やはり自分としては、それぞれが自分の心の年輪としてどれも懐かしく感無量といったところ。
 時々に励まして下さった愛読者の方々、またここまで続けさせて下さった広報室の関係者の方々に心からお礼を申し上げる。

 ところで、片々草は、第一回から、自分なりに考えるところあって、氏名を公表せず、ずっと「土筆生」の匿名で書き続けてきたが、たまたま曽野綾子さんの本を読んでいたら次のようなことが書いてあった。
 「武士は名乗って戦うもの、匿名の卑怯さは、自分は傷つかずに効果だけを狙おうと言う意図が見えるーーー。人間はあらゆる発言にささやかな責任を持たねばならない」・・・。

「卑怯者」と言われるのは心外だし、成る程、とも思うので擱筆にあたって敢えて氏名を公表する次第。
       
  永い間本当に有難うございました。
   
      昭和五十二年十二月

      新 潟 製 油 所   生 野  實