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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

顔             (27)         
  
 ”巨人・大鵬・たまごやき” という。子供の好きなもの、と言うほどの意味であろうが、あの相撲の厳然としたしきたり・・・、実力によって価値づけられた ”格”というものが好きである。
 そして大鵬に限らず、北,の富士・玉の海など横綱級の関取が土俵の下にどっかとあぐらをかき、行司の呼び上げるふた声の四股名を聞いている時のあの一瞬の顔つきが好きである。
 考えているのでもない、放心しているのでもない、興奮しているのでもないーーー淡々として、しかも奥深い何ともいえない実に見事な顔をしている。

 ”人間は四十になったら、自分の顔に責任を持て”と誰かが言っていたが、ーーー見せる顔でもない、見られる顔でもない、その人自身の心の奥底に沈潜した、その人自身の顔。
 まだ三十才にもならないあの人達に、あのような顔と態度を与えたものは何であろうか。

           死            (27)
  
 人間は死んだらどうなるんだろう。 誰も経験的に説明できない,死への恐怖ーーー怖れというより、捉えどころのない不安・・・。

 ”死んでしまったら、それっきりよ”ーーー確かにそうだろう。だが、 ”それっきりで、本当にそれっきりなのだろうか”という疑問がまた脳裏をかすめてくる。
 こんな愚にもつかないことを考えていたら、作家の獅子文六さん(昭四十二・死去)が動脈瘤で、その死がいつ訪れるか医者にも分らないという、本当に死に直面した病床で書かれた次のような文章が目にとまった。

 「私が死に、消える。私の家族は打撃を受けるが、その傷は時間によって癒えるだろう。しかし、私自身の関心として、死後の私がどうなるのか考えないではない。私は周囲の目からは消えるが、私自身がほんとうに、無に帰するのか」・・・。
 この獅子さんの疑問は、我々健康なものの漠然とした疑問とは次元の異なる言わば断崖を足元にした濃縮された疑問であったろう。

 同じように、死に直面して書かれた魂の記録に,高見順さんの 「死の淵より」がある。これは ”小説のように長い文章は気力の継続が不可能だから・・・”という理由で,詩の形をとって書かれたものであるが、この中に次のような詩があった。

   病室の白いカーテンに/午後の陽がさして/教室のようだ
   中学生の時分/私の好きだった若い英語の教師が
   黒板消しでチョークの字を/きれいに消して
   リーダーを小脇に/午後の陽を肩さきに受けて
   じゃ諸君、と教室を出て行った  
   丁度あのように私も人生を去りたい
   すべてをさっと消して /じゃ諸君、といって・・・

 もちろん、この心境に至るまでには、 ”ガン” に対するうらみ、この世に対する執着が恋々と述べてあるのだが、最期に到達したこの境地、実に見事と感嘆せざるを得ない。

 もっとも死は、それを思う人にも、思わない人にも、ある人には予告して、またある人には予告なしに突然やってくるものであるが、考えがまとまらないまゝに、古の人生の達人が、狂歌の形で残した辞世の句を二~三ご紹介しておこう。

    百居ても 同じ浮世に 同じ花
          月はまんまる 雪はしろたえ
                         (鯛屋貞柳)
         
    食へばへる ねぶればさむる 世の中に
          ちと珍しく  死ぬも なぐさみ
                         (木室卯雲)
        
    碁なりせば こうを立てても 生くべきに
           死ぬる道には 手もなかりけり
                           初代 本因坊)

(70・S・45・9)