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02-Jan-2013

それなりに・・・

 ”美しい人は より美しく写ります”。・・・”美しくない人は?。美しくない人は・・・それなりに”昨年流行ったフィルム会社のTVコマーシャルである。
「それなりに」とは言い得て妙ではないか。
 *
「ハゲはハゲなりに」、「馬鹿は馬鹿なりに」という言いかたがある。傍からみれば低次元であっても、人それぞれに夫々の立場で「それなりに」努力しているではないかということである。

 人を育てるのに、スパルタ式で目標を満点に置き、それに到達しないとバカチョンみたいに罵倒するやりかたもある。三味線のお稽古でバチが飛んできたとか、野球の千本ノックとか、俺について来いのバレーボールなど、そのテの話はいくらもあるし、これを見習えというのはいと易い。

 人を育てるのに ”それなりには、やっているじゃないか” というのでは、ナマぬるい話ではあるが、しかし人を育てるのに一番必要なのは、所詮は当の本人の ”やる気”でありその基となるのは、その当人の ”そうしよう” ”こうなりたい”という意欲である。

 であるとすれば、そのためにその人のために傍から出来ることは、そう本人が思うようにさせるための「励まし」しかないのではないか。初手から満点を求められ、そこに到達しないことでバカチョン呼ばわりされたのでは、意欲をなくしこそすれ励みにはなるまい。(稀にそのことによって発奮し一念発起して・・・という立志伝もあろうが・・・)。

 人は、それなりに夫々よかれと努力し、世のため人のため会社のため・・・と、直接的に毎日志を立てながら行動しているわけではないが、普通の人であれば、基本的に向上心があり、それなりによかれと努力しているものである。

 ”人を見て法を説け” というけれども、気の強い人、弱い人、見栄っ張りの人,構わない人、おっとりした人、気の早い人・・・。夫々に千差万別である。
 人に接し人を育てようというとき、その夫々の違いを意識しながら指導しないと、思いがけない方向へ相手を追いやってしまうことになりかねない。

 特に、小さな子供を育てる場合、子供にとって親は絶対の権力者である。「いい子に育てたい」という強い願望、この子のことはすべて親の責任という気負い、意識はしないが自分の占有物であるという気持から、子供そのものもそれなりの「人格」を持った別の生き物なのだ・・・ということをつい忘れがちになる。

 その上、子供を叱ること、しごくことは相手のためなのだ、自分は誠心誠意なのだ・・・だから喜んで聞くだろう、という前提に立って、相手に感情のあること忘れてしまう。相手にメンツのあることを忘れて、口角泡をとばして諄々と説教することになる。じゅんじゅんとだけならまだしも,時に自分の激した感情を交えてねじ伏せようとしたりする。(追い詰められたネズミは、ネコにでも飛びかかるという)。

 一歩おりて、よーく考えてみると、目標を「それなりに」はこなしてるじゃないか 、と現時点を一応肯定した上で、これに少しづつ高い目標を課して育てていくくらいの広い度量が必要で、あまり短兵急に叱咤激励し相手をすっかりしょげさせ、自信をなくさせ,素直な向上心をもスポイルしてしてしまってることはないだろうか。「角を矯めて牛を殺す」ことになってはいないだろうか。外科の手術は成功したが人間は死んでいたという例もある。
(81・S・56・5)