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雑記帳

片々草はじめに

片々草(I) 目次

片々草(II) 目次

悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

Last Update

02-Jan-2013

編集部よりお知らせ  

     希望者に無料進呈。
       片々草は、連載を開始して以来好評を博し、読者の皆さんから
       是非一冊にまとめて配布して欲しいとの要望がたくさん寄せら
       ています。
       そこでスリーラインが創刊以来通巻二五0号を迎えるのを記念
       して、全国の「片々草」ファンの熱望に答え、本誌「片々草」

       の中から抜粋して別冊発行(A5・本文64ページ)することに
       なりました。希望者には無料で差し上げますので、官製はがき
       に「片々草希望」と記入の上、*勤務先。*氏名。*役職名。
       *特約店名。*勤務年数 を明記の上、左記宛お送りください。
       応募者多数の場合は抽選とさせていただきます。
       締め切り *昭和五十九(84)年四月三十日
                        日石スリーライン編集部。
           広報部・F.K.進部長 殿  (葉書)

    四月に入っても降雪を見るという異常な天気ですがお元気ですか。
    石油の消費は上向きとなり市況も何とか明るい兆しを示し誠に結構
    な事と存じます。
            (中略)
    本日、「日石スリーライン」四月号を拝見したところ、「片々草」の
    抜粋版を希望者に進呈されるとのこと、知識といい文章といい、毎号
    賛嘆して愛読しています。できますれば、右抜粋版一部ご恵与下さい
    ませんか。

                         K. F.
                      (当時・日石常務取締役)
            海 ゆ か ば
 
 某日、海軍兵学校出身のJ・Y氏、陸軍士官学校出身のM・Y氏と、飲み仲間数人と何となく集まって飲んだ。いつか話は、前に書いたK・I氏の陸軍・海軍論に発展、ワイワイガヤガヤと例によって話の筋は混沌として定かでないが、断片的ながら再録してみる。。
* 
 「最近ダサイという言葉があるけど、言っちゃ悪いが、これは昔の陸軍のためにあるような言葉だな。まあ士官の長靴はともかくとして、上着の上からベルトを締めてこれにゴボー剣、頭は丸刈りーーー。そこへいくと海軍は、長髪を七・三に分けて、冬は濃紺・夏は純白の服に短剣だもんな」。

 「第一、日本中が敵性語といって嫌った英語を、海軍士官はグローバルにものごとを考えなきゃいかん、と一身を賭して断固英語教育を擁護した提督がいたが、何ともスマートな話じゃないか」。

 「提督といえば、山本五十六のことを神様みたいにいう風潮があるけど、どうなんだろう?。山本は”この戦争は勝てない”と開戦前から見越してたというじゃないか。考えようによっては、負けると知りながら開戦に踏み切った山本より、 ”絶対勝つ”と信じこんでいた東条英機の方が将軍としては純粋だったんじゃないか。山本は本当に日本のことを考えるのであれば、連合艦隊司令長官の職を投げ打ってでも、開戦に反対すべきだったんじゃないか」。
 *
 「それに、大和、武蔵以下の戦艦・重巡を温存しすぎて、結局使い時を失して無用の長物化してしまったのは、山本の用兵の誤りといえるのじゃないか。
 第一、自分の搭乗機が待ち伏せされ撃墜されるなんてのは、長官自身の戦況に対する認識の甘さだよなあ。尤もあの行動は、切腹の代わりに自ら死に場所を求めた格好いい自殺だった、といううがった説もあるけどなーーー」。

 「海軍の生活は、上げ膳・据え膳で、人間関係が狭い艦内に限られていて単純だ。極端な例だが例えば潜水艦・・・、状況を判断して命令するのは、潜望鏡をのぞいている艦長だけ。他の乗組員はただ言われるとおりに動くだけ、言ってみればロボット、機械の一部・・・普通の軍艦だって似たようなものだろう」。

 「そこへいくと陸軍は広い大陸に散開して、戦い方も個々の判断に負うところが多い、そこに命がけの複雑な人間関係が生まれ、それを個々に処理しなければならん。砲煙弾雨の中で真面目に命をかけて戦っている兵隊もあれば、岩陰でじっとしていて、勝ち戦のあとで何食わぬ顔して現れてくる兵隊もいる。嫌な上官には後ろから弾が飛んでくることだってある。第一、数人でいつ敵と遭遇するか分からない敵中へ、状況調査に出かける斥候の心細い気持ちなんてものは、海軍さんには分かるまい」。

「一般には、人に乗り物をすすめるとき、目上の人を先に乗せ、後から自分が乗るのが礼儀と指導するけど、海軍では、例えば沖合いの軍艦に乗るために桟橋からランチに乗る。このとき偉い人は後にして部下が先に乗り込む。降りる時は逆に偉い人を先に降ろして部下が後から降りるように躾けられた。
 何故だか分かるかい、要するに不安定な危険なものに偉い人が乗ってる時間を少しでも短くしようと言う配慮なんだなあ」。
「何でもへりくだってお先にどうぞ、というものじゃあない。軍艦に限らず車でもエレベーターでも、本当はお付きの人が先に乗って内部の安全を確かめ、それから偉い人を誘導する。目的のところに着いたら先に出てもらうというのが本当じゃないのかな。
 気配り、という言葉が最近新しいことのように流行しているけど、こういうのを気配りならぬ心配りというんだなあ」。

 「ところで、陸軍には胸にジンとくる魂をゆさぶられるような軍歌が沢山あるけど、海軍にはこれと言った軍歌がないのは何故だろう?」。

 「そうだなあ、”轟沈・轟沈がい歌があがりゃ、”なんてのはとても軍歌とはいえないし・・・(と夫々にいろいろ口ずさむことしばし・・・)ああ、あった、あった”海ゆかば)ーーー。
 
     海ゆかば みずく かばね
         山ゆかば くさむす かばね
 
 ・・・と一人が歌いだしたら皆が一斉に唱和し始め、そのうち感激して一人・ひとりと正座して結局全員が正座・・目を閉じて厳かに歌うことしばし・・・。
     
     大君の へにこそ 死なめ
    かえりみはせじ

 ああ、唱和ヒトケタ・・・。
(84・S・59・6)