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02-Jan-2013

貧 者 の 一 灯

 日石スリーライン、八月号の伝言板に、長野のS/S,Y・Mさんの投書が載っていた。その中に ”・・・私は表紙と光君、片々草大好きのおばさんです”と書いてあった。

 こんな小さな何行かの記事でも、片々草に関心を持って下さる方が、具体的に行動を起こしてペンを取って下さったのが嬉しくて、早速手持ちの片々草抜粋小誌をお送りした。数日したら折り返し、きれいな字で「日石・宣伝課気付・土筆様」とお礼状が届けられた。

 人間何が応えるといって,無関心で無視されることほど参ることはない。逆に人に関心を持たれること、認められることが、どんなにその人の心をなごませ、励ますことになることか。
 小・中学校のイジメの中にも、皆で申し合わせて、一人の子を ”無視する”というのがあるそうだが、ぐれた生徒が、”何故ぐれたか?”・・・最初にあげる理由は ”センコーが、俺のことをシカト(無視)したからだ”ということだそうだ。

 ”関心”ということについて、こんな経験がある。
 地方の製油所にいた時のこと、終業のチャイムが鳴ると、すぐに掃除のおばさん数人が事務所の掃除に来てくれる。その中に、ひとり六十がらみの少し足の不自由なおばさんがいた。その人が土筆生の席のあたりの割り当てらしく、いつも机の回りを綺麗にしてくれる。

 ご苦労さん、と思いながら ”全然ごみがないように見えても、そのブラシみたいな箒で掃くと結構ごみが集まるもんですね”。から ”暑い・寒い”・・・と折々にお互い声を掛けあうようになった。
 ところが話はこれからなのだが、土筆生が転勤することになった時、どこで聞いたのかそのおばさんが ”今度転勤なさるそうですね”とチリ紙の包みを差し出したのである。 ”餞別”だという。固辞したけれどそのおばさんが、こう言ってくれたのである。

 ”私は、自分の仕事が賎業だとは思っていないし、体の具合からこれ位の軽作業が適当で満足している。それで、もう何年もこの仕事をしているけれど、私が掃除をしていることに気がついて、声をかけてくれたのはあなたが初めてだった。これは私の仕事だからやるし、それは当たり前。私が仕事してそれで粗相があれば叱られるでしょうが、今まで誰も掃除をしていること、そのことに関心を払ってくれる人はいなかった”。

 ”それで当たり前と思っていたけれども、あなたは、いつも何かと私に声をかけてくれた、それが嬉しくて・・・。先ほど転勤の話を聞いて急に準備したので、少し汚いお札だけども受け取ってください”。ーーー”お気持ちだけで・・・”と固辞する土筆生の机の上に ”貧者の一灯です”と包みを置いていってしまった。

 あの時は涙が出るほど嬉しかったが、後からつくづく反省した。あのおばさんは、あれほど感謝してくれたけど、俺はあのおばさんの仕事に本当の関心をもって声をかけていたのだろうか?。単に足の不自由なおばさんをいたわるつもりで、ただ、声をかけていただけじゃなかったのかーーー?。

 然しいずれにしても、自分では意識していない、ふとした人の言動が、知らないうちにどんなに人の気持ちに影響を与えているものであることか。
 われわれは、もっと ”関心”を持つ、ということに意識して言動する必要があるのではないだろうか。
(87・S・62・10)