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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

ち ん ど ん や

 駅前のマーケットから、懐かしいチンドンやの囃子が聞こえてくる。
 思わず足を止めて覗いてみたがチンドンやは見当たらない。・・・何とテープから曲が流れているのだった。まあ、近頃は焼き芋やからサオダケ売り、果てはお経までがテープだという時代だから、考えてみれば不思議ではないが、何ともこの囃子ーーー本当のチンドンやを目の前にしたような臨場感がある。

 よく聞いていると、トランペットが、いかにもベッタリとした、なめるような吹き方(わかるかなあ?)その上曲の途中でわざと息継ぎをやってみたり、微妙に音をはずしたりした苦心の演奏である。聞いていると、腰を落とし、三歩歩いて二歩下がり、それを千鳥に進みながら拍子をとっている息遣いで,その姿が目の前に浮かんでくる。

 ”上手は下手の真似が出来るが、下手は上手の真似は出来ない”というが、この奏者は相当な域の人だと思う。上手の余裕・・・つい聞きほれて子供の頃を思い出す楽しいひと時だった。

          電  話

 駅前広場で小さなテントがけで、”カモメール”発売とある。何かと思って覗いてみたら「暑中見舞い」のはがきの出前販売だという。そういえば昔の本屋のお中元の”扇子”や”うちわ”など、最近はすっかり暑中見舞いがなくなった。

 代わりに増えたのがなんとかコールの青電話。NTTは、かける前から現金の入るあのテレフォンカードの売れ行きで笑いが止まらないという。おかげで、夕方になると、どこの青電話も列をなしてふさがっている。 
 昔は、公衆電話の数はそれほど多くなかったのに、そんなに並んでもいなかった。増えた電話が更につかえるということは、それだけ世間の用事がふえたのだろうか。
 その電話の空くのをボックスの外で待っていても、昔は電話器の上に積んでいる十円玉の数で、大体待つ時間の見当がついたが、カードでは、時間の経過につれてガチャリガチャリと心臓に響く音もしないし、ボックスの外で待っている者の身には何ともいらいらするものである。

 ところで、今年の新入社員は、このテレフォンカードに似ているという新聞記事があった。そのココロは・・・。
 「それぞれにファッショナブルだが、薄っぺらで、矢印の方向に入れないと役に立たない。あらかじめ受容量が決まっていて、仕事が終わるとピーピー言って帰ってしまう」・・・というのだそうが、如何。

           死

 ある看護婦さんの話。
 人間が死ぬ時・・・。昭和二十年代までは八十%位の人が自宅の畳の上で、それまで生きてきた土地との交わりの中で息を引き取っていた。それが最近は逆転して,八十%くらいの人が病院のベッドの上でこの世を去っていくようになったという。

 病院で、これらの人々を繰り返し見つめてきた、その看護婦さんの話によると、人の死に方には二つの型があるという。
 生前、 ”理論的に生きてきた人”、それから ”オレが私が、の自己主張の強かった人”が意外に死に臨んで、何とも情け容赦のない理不尽な 「死」に対して納得がいかず割りきれず、じたばたしながら死んでいくーーー”。
 逆に、生前控えめながら、いろんな困難を自ら乗り越えてきた人 ”自律の人”がしっかり死んでいくという。

 人間はたえず死に向かって旅する存在。自分はどう死ぬのだろうか?。その瞬間はどんな感じ方なのか、誰からも教わることは出来ないが、この看護婦さんの話。・・・いずれにしても、死んでしまえば一巻の終わり。いずれは死んでしまうのだから、どうでもいいようなものだが、やはり一寸考えさせられるな。

(87・S・62・12)