君の会社何人ぐらい働いている? うん、半分くらいかな。

今朝の新聞で、「ガラスの地下室」でもがく、50代の「働かないおじさん」「会社の妖精さん」の話が出ていた。

どうも、識者の言葉には共感できない。

お金のために働くのではなく、社会に知識や経験を還元するために働けば生きがいが生まれる?

論点がずれている。

そもそも、50代は全員「働かないおじさん」「会社の妖精さん」なのだろうか?
まー半分がそうだとしよう。

50代でバリバリ働いていると自他ともに認め(られ)ているなら、そもそも「働かないおじさん」とは呼ばれていないだろう。そうした人は、周りから尊敬を集め、若手から相談を受け、知識や経験を聞きたい者は多いだろう。
そうした人は、伸び盛りの中小企業に来て、一緒に働ければと思うのはわかる。

問題は、「働かないおじさん」になってしまった人の話を誰が聞きたいか?ってことだと思う。
「俺が若い頃は、リゲイン飲んで、24時間戦ってたんだ」
「銀座で接待して、週末はゴルフ接待で、365日休みなかった」
「ネットで営業なんてできるか? 靴を履き潰してナンボだ」

やっと、大人しく「ガラスの地下室」に押し込まれているのに、そこから開放して、若手にマウンティングさせる?
そんな過去の遺物を若手に引き継がせる必要はないって、妖精のようにふーっと居なくなろうとしているのに。
そんな知識や経験が重要なら、何故、日本はこんなに没落したんだろう?
生産性向上に通用しなくなった知識や経験ではないのだろうか?

リゲイン飲んで24時間働いたなら、生涯労働時間、年2,080時間*43年はとっくに終わっている。ご苦労様!

だいたい、昔は55歳定年。何故かと言えば、戦後の復興で身を粉にして働いたから、身体的に無理だったんだろう。企業戦士だって同じだ。

それをズルズル伸ばして、次には70歳?
細く長くって考えるしかない。

私が大学を卒業して、社会人になった、1985年はまだ昭和で、Japan as No.1で、企業戦士の時代だった。

新人類と呼ばれるような世代だった。

会社の要求に応えバリバリ働いて会社での地位を求める人と、自分みたいに(当時はまだ珍しかった)コンピュータに傾倒して徹夜でプログラミングしているような技術志向の者がいた。

どちらが、「働かないおじさん」になったかな?

結局、どちらも、変化に対応して自分を変革し続けなかった者から脱落して行ったように思える。
若いうちに、吐き出すだけで、吸収を怠った者は燃え尽きが早い。

若者は、50代の「働かないおじさん」を反面教師にして、50代で「起業して一人社長になる」には今何をするべきか逆算してみると良い。どういう人的ネットワークが必要か考えると良い。

いくら若者や識者がぐだぐだ言ったって、経営幹部は「働かないおじさん」の一味なんだから。