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02-Jan-2013

耐 え る         (32)
  
 ”昭和ヒトケタ族”という。生まれた時が満州事変前後、小学校が支那事変、中学校時代が太平洋戦争。物心ついてからずっと ”欲しがりません 勝つまでは”ーーー大抵のことは ”戦地の兵隊さんのことを思いなさい・・・”で我慢させられて育った時代。
 “勝って来るぞと勇ましく”———”泥水すすり 草をはみーーー” ”骨まで凍る クリークに 三日もつかってーーー” ”友を背にして道なき道を”ーーーといった軍歌を童謡のように歌いながら育てられた。
 そして敗戦。成人前後の育ち盛りに、米もなくイモの蔓やおかゆで命をつないだ・・・だから昭和ひと桁は ”耐える”ことを知っている

 先日相撲の中継を見ていたら ”○○関は風邪気味だといっていましたが・・そういえば、最近病気や怪我が多いようですね”というアナウンサーの質問に、元名横綱といわれた解説者が 「いやあ、最近の若いもんは、あすこが痛い、ここがどうだ、ということを口に出しすぎるんじゃないですか、これだけ激しい体力と精神力のぶっつかり合う世界ですから、むしろ毎日、どこががどうかなるのが当たり前で、それは昔も今も変わらない筈です。昔の人だってケガもした体調もおかしくなった、ただ黙って自分ひとりで我慢していただけですよ」。といっていた。 

 我慢するということ、耐えるということ・・・最近そのような美徳?が少なくなったような気がする。何でもかでもすぐに ”少ない” ”損だ”挙句の果ては ”ナンセンス!”。
 ちょっとニュアンスは違うが、曽野綾子さんの ”誰のために愛するか”の中に次のような一文があった。

 「蛇や蛙を怖がる人は実際に多いが、きゃあ、と叫ぶよりも、怖さをじっと我慢している娘の方があわれではないだろうか。蛇や蛙ばかりではない。 ”耐える”ことは実に大切なことで、歯をくいしばって何かに向き合っているその姿は、そのまま優しさにも、勇気にも、かよわさにも通じる不思議な顔なのである。」

             情   緒           
  
 「都会の子供に、夏の夜の情緒を味あわせようと、夜空に蛍を放したら、捕まえて ”何故光るんだろう”とお尻をもいでしまった。」と新聞が嘆いていた。

 ”疑問を持つ”、”探究心”、”科学する心”ーーーと喜んでいゝのだろうか。近頃、人間の生活の中から ”情緒”が失われていくのを哀しむ。最近は、都会の子供に昆虫をみせると、種類を聞くよりも先に ”幾らだった”と値段を尋ねるというではないか。

 話はとぶが、先日、ある飲み会での会話。
 「”雪国”の中に ”これが、一番よく君のことを覚えていたよ”って、島村が左手の指を出すところがありましたねえ」ーーー「”きぬぎぬの別れ” なんて、実感としてはともかく、言葉自体を知っている人ももう少ないんじゃないんでしょうかねえーーー」。「”衣ずれの音”なんて情緒もなくなってしまったんでしょうねえーーー」。盃を傾けながら「さびしいですねえ」と共感する事ひとしきりーーー。
 この会話のオチは「 ”じっと息を殺し胸をときめかして待っていた、暗闇の中でパチパチッと何かが光った。ナイロンの服を脱ぐ静電気の光と音であった”なんて ”雪国”がそのうち出てくるんじゃないですかネエ。ハッ・ハッ・ハッ・・」

        女   将。           
 
 何かひとつの道を究めた名人、達人というものは、必ず人間的に偉大な何かを持っている。
 たとえ美人でなくともひとかどの店の女将ともなれば、たとえ若くても回りの使われているザコとは、どこか違う風格のようなものがある。
 酔客にあわせ、適当にあいづちをうち、馬鹿を言っていても、何かしら底のところにしゃきっと一本芯があるものである。
(71・S・46・9)