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02-Jan-2013

正月雑感(Ⅲ)          (34)
  
 昔は正月がくると年齢がひとつふえた。今は誕生日がこないと年は増えないので、正月を年齢的な一つの節として迎える感懐は少なくなったが、正月というと柄にもなく 何か”を感じ“、”考え“なければならないような気がするから妙である。
 人それぞれに何かを考えるのであろうが、さて、今年はーーーとあらたまってみても、仕事のことはさておいて、家庭的には何がどうということもない。平々凡々ながら、先ずは素直に、家族一同健康で明るい正月を迎えられたことを「おめでとう」と慶こんで、さて、近頃思うことーーー。

 自分が馬齢を重ねるに従って、近頃とみに子供のことを考えるようになった。まだ子供が小さかった頃は、ただ身体的に大きくなること、元気に育つことだけを願っていたが、小・中学校も高学年になってきた今は、同じような態度で育ててきたつもりなのに、二人の個性が顕れ始め、 ”人間”としての育ち方、出来上がり方が気になるようになってきた。

 自分のその年頃のことを振り返ってみると、どうも十五~八歳の頃ーーーその当時の世の中の環境、家庭の状況、父母、兄弟、先生、友人との接触、あるいは読んだ本、自分を取り巻いていた環境・自然etc,その頃のあらゆるものから影響された考え方、感じ方が基準になって、今の自分のほとんどが形成されているように思える。

 それじゃあ、その頃から全く進歩していないんじゃないか、と皮肉られそうだが、自分に限らずどうも人間の ”こころ”というものは、その年代の吸収力が一番大きく、そしてそれが一生の決定的な方向づけをするのじゃないか、と思い当たる節々が、自分だけに限らず沢山ある。

 今ひとつ最近感じることは、 ”人生の侘びしさ”ーーーということ。
 いつか結婚式の司会をやって、「では、これで終わります」と言ったら、「結婚してこれから晴れて新しい人生のスタートを切る二人のお祝いに ”終わる”という言葉を使うものじゃない。あそこは目出度く末広がりで ”お開きにします”というべきだ」と親切に注意してくれた人があった。
 お目出度い正月の随想に ”侘びしい”話なんかけしからんかもしれないが、「正月や 冥土の旅の 一里塚・・・」なんて句を詠んで歌聖とあがめられる人もあるのだからよかろうーーー言ってみれば「善は悪の一種であり、光は闇の一種・・・」と言えなくもないし、どんなに目を閉じてみても、光に影の伴うように生と死は切り離せないものではないかー。

 「生者必滅会者常離」・・・(生きているものは必ず死ぬものだ。会ったものは必ず別れなければならん。これは仏教の中の教えだそうだが、・・・と亡き父に教わった)。人生の侘びしさーーーそれほど幅の広い人生を歩いてきた訳ではないが、自分が会社に入ってから知り合った人々の人生に限ってみても、亡くなった人、定年で会社を去っていった人、・・、それぞれの方の会社に在りし日々の面影、家族の人々の思い出など、追うともなく追っていくと、だんだんとその輪が大きくなっていって、その輪の中に自分が融けこんでいってしまう。
一方、子供が大きくなり、それらが、ついこの前だったような気がする自分自身の思い出と重なってくると、人生の越し方、行く末が短く、辿りつく先までが見えてくるような気がする。
  *
 どうも薄暗い夕暮れのような話で恐縮だが、どう考え直してみても、マクロ的にみれば所詮人生は侘びしいものに違いない。人生を ”かつ浮き、かつは消えていく川の流れの泡のごときもの” と喝破した聖賢もあったではないか。
 だけど、だからこそその人生の日々をせめて明るく、朗らかに、楽しく、有意義に,、陽のあたる暖かい人生で歩く努力を怠ってはならないのだろう。
  *
 だいぶ長くなった。ここらで、ひとつ漱石の言葉をかりてオヒラキとしよう。
 「百年は一年のごとく、一年は一刻の如し、一刻を知れば将に人生を知る。日は東より出て必ず西に入る。月は満つれば欠くる。徒に指を屈して白頭に至るものは、徒らに茫々たる時に心神を限らるるを恨むに過ぎぬ」。
(72・S・47・1)