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02-Jan-2013

五   訓           (36)
  
「虫の居所が悪い」という言葉がある。。機嫌が悪い人のことを ”今日は虫の居所が悪いらしい”と言ったりする。どんな虫か知らないが、その人のせいではなく、虫のせいだと考えるのである。

 人間誰しも、何かのせいで心が弾まないことがある。感情七分、理性が三分の人間であってみればやむを得ないことではあるが、われわれチームプレーで日々を送るものにとっては、そこのところが問題なのである。

 われわれ人間の体は、どこかでささいな変調が起こっても、生体的な自衛組織が出来ていて、虫にさされれば痒くなり、ケガをすれば痛い、悪いものを食べれば下痢するし、食べ過ぎれば嘔吐する。全体的なバランスがくずれれば熱がでる。
これらの変調を、部分的な組織が全体(中枢の脳)に知らせると同時に,、意思とは無関係にサーモスタットで、もとの状態へ戻そうとする動きが協同して自動的に働き始める.
 体には、常に異常に対するチエック監視体制がができている。

 ところが、精神面というか、感情の方は、残念なことにそのようにはなっていない。
 他人からみれば ”あの人、今日はご機嫌が悪いな”といった簡単なことが、本人自身では案外気がついていないのである。
 そして、その事のために、どれだけチームワークの中で他人が迷惑をこうむっていることか、それが、長と名のつく人であってみれば、なおさらのこと、その影響力は大きいのである。

 こう考えてみると、肉体的なことは体に任せておいてもよいとして、我々にとって日常大切な事は、精神的(感情的)なその日の状態を、自分自身で客観的にチエックする習慣を身につける必要があるということである。

 昔、海軍兵学校では、毎晩就寝する前にベッドの前に並び直立不動の姿勢で全員が次の「五訓」を大声で唱え、自らのその日を反省し明日への成長の糧としたという。
 人のためというより自分のために考えてみてもよいことではあるまいか。

    一、至誠にもとる なかりしか。
    一、言行に恥ずる なかりしか。
    一、気力に欠くる なかりしか。
    一、努力にうらみ なかりしか。
    一、不精にわたる なかりしか。

         映画二題           
  
 土筆生が子供の頃、まだ映画のことを活動(写真)と呼んでいた。もうトーキーになっていて弁士はいなかったが、まだスクリーンの横に、かって弁士が熱弁をふるったであろう舞台があり、その前に半円状に囲った楽団の席が残っていた。二階にはゴザが敷いてあり、マス席は下駄を脱いで座るようになっていた。昔の芝居小屋の名残からか XX座という名前が多かった。

 スクリーンでは今や、明智小五郎探偵が悪漢に追われて悪戦苦闘・・・物陰にひそんでいる悪玉。それと気がつかず追われて近づく探偵。ーーー思わず暗闇の客席から興奮した声が飛ぶ。「オーイ気をつけろ、そこに一人かくれているゾー」。絶体絶命、探偵危うしというところに駆けつける巡査数名。観客席のそこここから拍手が飛ぶーーー。あの頃の観客は純真だったなあ。

 十五・六年前、まだTVが一般化していなかった頃、山口県の下松市に住んでいた。
 ここに大日館という映画館があった。館とは名だけの小屋だったが、独身時代、寮生活ではあったしよく通った。下松日報という地方紙に刷り込んである割引券を持っていくと安くしてくれた。表に自転車の預かり所があって、自転車の代わりに大きな木の札をくれ十円で預かってくれた。

 寒い季節になると、、広告に「全館・完全暖房」という文字が追加された。何のことはないガランとした館内にダルマストーブを据え、時々オバさんが来て石炭を放り込み、ガラガラと灰をかき落とすというしかけ。
 その程度の映画館だから、映写技師もいゝ加減なんだろう、時たまフィルムの順番を間違えたりする。さっき殺された筈のカウボーイがさっそうと馬にまたがって駆けてきたりすると、これはまた変な感じのものである。
 そうなると、客は頭の中でフィルムの順番を入れ替えて、筋立てを組みなおさなければならないのだが、怒るわけでもなくおとなしく観ていた。のんびりした時代だったなあ。
(72・S・47・5)