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02-Jan-2013

胆   力            (53)
  
 話はずっと昔に遡るが、太平洋戦争緒戦で、山下奉文将軍がマレー半島を銀輪(自転車)部隊で疾風の速さで南下し、ジョホール水道をはさんで英国軍最後の砦、シンガポールと対峙した。猛烈な砲撃戦の後,イギリス軍から降伏の申し入れがあり、敵将パーシバル将軍と膝づめの談判が行われた。パーシバルは降伏はするが、降伏するについていろいろな条件を出した。このとき山下将軍は「無条件降伏」を主張して一歩も譲らず、テーブルを拳で叩き通訳抜きで、有名な ”イエスかノーか”という言葉が飛び出した。

 ニュース映画によれば、日本刀を開いた足の真ん中に立て、ぐっとパーシバルを睨みつける。パーシバルは半そで半ズボンの姿で目をパチパチとしばたいて、結局 ”イエス”・・・という図である。

 ところが、この時山下将軍率いるわが軍は、あまりの進撃の早さに、補給路が伸びて弾薬の補給が間に合わず、大砲一門あたり三発ずつの弾丸しか残っていなかったのだという。
 ちょっと出来すぎた話ではあるが、とにかく山下将軍の断固たる自信と気迫にパーシバルは負けたのである。
 (後日の調査によればこの時、勝ち戦の日本軍は相手の残った戦力を「過少」に評価し、負け戦のイギリス軍の方は日本軍の残った戦力を「過大」に評価していたという。結果論ではあるが面白い心理状況である)。。

 考えてみると、戦争で名を挙げた名将軍には、戦国の武将の風格というものがあった。東郷平八郎・大山巌・乃木希典・山本五十六・・・。この風格というものは、作ろうとして出来るものではないが、これらの根本をなすものは何であろうかーーー。
 ”信念”と臍下丹田の ”胆力”といったものに要約されるような気がするが,如何なものか。

         騒   音            
  
 転勤で今の家に引っ越して三ヶ月になる。転勤前にいた家の前が袋小路で車は通らず、その上窓が二重ガラスといった家で、庭で小鳥の囀るような静かな高台にあったため、今度の家の騒音には参った。

 バス・トラック・乗用車・オートバイと、表通りが幹線道路に通じるバイパス道路であるため、昼間はもちろん夜中も、ひと晩中それらの車の音・音・音・・・である。道路側に頭を向けて寝ていると、時に頭の上を車が通ったんじゃないか、とハッと目が覚めたりする。そして、いったん気にしだすと、一台一台が通るたびにその車の音を耳で追うようになる。そんなことをしていちゃ何も出来ないと、努めて気にしまいとすると、逆にたんねんに音を追う結果になってしまう。

 隣の人に ”どうです、住み心地は?” と尋ねられて ”ええ、庭もいゝし、建物もよく管理されているし交通は便利だしいゝですね。だけど、車の音がうるさいのだけは参ります”と言ったら ”まあ、三ヶ月ですね。三ヶ月経つと音は聞こえなくなりますよ”と言われた。 ”そんなもんかいな、だけど音そのものは減らないのに、いくら馴れると言ったってーーー”と思っていたのに、何と、本当にその音が聞こえなくなってきたのである。

 正確に言えば、 ”聞こえなくなった”のではなく、 ”聞かなくなった”のである。人間に備わった自衛本能ーーー順応性の素晴らしさ。
 昔、イビキをかく人と同じ部屋に寝て一晩中悩まされ、翌朝 ”あんなイビキじゃ奥さんは大変でしょうね”と言ったら、当人”いや、女房は、今ではイビキが聞こえないと眠れないと言っていますよ”と平然としていたが、これは或いは本当の話かもしれない。

 世の中は、自分の思い通りにはいかない。だが、思い通りに行かないことを不満に思って、毎日を不愉快に送るよりも、一応、原点に立ち現状を是認し、肯定した上でそこから順応する努力も大事なことのようである。

 ”雨の日は、雨を楽しみ、晴るゝ日は、晴れを楽しむ”・・・といった、平静な気持ちを養いたいものである。

        重   さ             
  
 死んだ人は重い、というけれども、自閉症の子も重いそうである。目方は違わない筈なのに,抱く人、おんぶする人と、相手の心のつながりが重さまで変える事実。

 意志の疎通と言うことの重要さを考える。

(74・S49・2)