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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

信   頼            (61)
  
 おかしなもので同じ言葉であっても、言う人によって気にかからない場合もあれば、言う人が変わっただけで気に障る場合もある。
 また、ふだん親密であればあるほど、何かの拍子に仲違いすると、その反動が大きく、今までいゝ要素だったものまでが逆に大きなネガティブの材料になって作用するようになる。
 また、はたから見れば、どんなにひどい言葉であっても、かえってそのためにお互いの心と心にベルトがかかる場合もある。

 これらの違いは何によって生じるのだろうか。
 それはよく考えてみると、お互いの信頼関係の有無、根本のところで相手を信頼しているかどうかにかかっている。そして、その信頼関係というものは、一朝一夕には出来ないし、また、長い間かかって築き上げた信頼関係も、ニセモノであれば一瞬にして崩れ去るということである。

        香   り            
  
 部屋の一隅に沈丁花の小枝が活けてある。ただひと枝なのに、このほのかでふくよかな部屋の香りはどうであろう。あの小さな花のどこにこのような香りが隠されているのだろう。

 ”におい”について、幸田文さんが ”花の匂いには何か消えよう消えようとする趣きがあるように思われ、香水には、残ろう残ろうとする心があるように思われる・・・だから花の香りにはあきがこないのだろう”ということを書いておられたが、この沈丁花の香りをきいていると、その気持がわかるような気がする。

 相当古いのれんのお寿司屋、入り口に苔の生えた石造りの手洗いを配し、竹の樋に水が通っている。・・・中に入るとたたきに打ち水が打ってあり、店内は明るすぎず、さりとて暗からず、紺地ののれんがさりげなくかけてあったりして、しっとりした落ち着いた雰囲気ーーーと書けば大方は想像して頂けようか。

 ところが、そこで借りた手洗い、真っ白なタイル張りは、まあ清潔という面で許すとして、はっと現実の世界へ引き戻された感がするこの「匂い」。・・・例のナフタリンの親玉が朝顔の中に、ちょうど水圧?でごろごろとぶつかり合うようにご丁寧に五個も転がしてある。 
 ニオイをもってニオイを殺そうという魂胆なのだろうが、も少し何とか工夫はなかったものであろうか。

         お 銚 子           
  
 ”わたしゃナラヅケを食べても赤くなるんですよ”と言った。そしたら相手が ”いや、それならまだいゝ方ですよ。私なんか、酒屋の前を通っただけでも赤くなるんですから始末に負えません”と言った。すると、この話を横で聞いていた人がポーッと赤くなった・・・というのは志ン生の噺のまくらだが・・・。

 ”酒飲みには人生が二つあるという。酔ったときと素面の時と・・・”という。”カネにうらみは数々ござる”じゃないけれど、こちとら ”酒にうらみは数々ござる”というところか。
 こう無芸太飲じゃあと一念発起。長唄を習うことにした。お師匠さんは、この道一流の名取さんで、いうまでもなく美人の女性。入門の挨拶に行ったときのお師匠さんとの会話の一部・・・。
 
  (師)・・・”ときに、オチョウシは、どれくらいですか?”
  (私)”はあ??”・・・(質問の意味がよくわからない)。
  (師)”あの、おちょうしは何本くらいですか?”
  (私)”お銚子?。何本?・・・そうですね、晩酌で二本くらいでしょうか”。
  (師) ???。

 なんと ”長唄の世界では、声の質(高・低)を表すのに、その調子を一本・二本・三本と言う具合に表現して,自分の声はこれくらい・・・(例えば三本)というと、三味線の方でこれに高低を合わせてくれるわけです”と説明を受けたときは、穴にでももぐりたい気持だった。
 調子に ”オ”をつけて、”おちょうし”となると、前後の見さかいもなく、場所柄もわきまえず、さっと徳利が浮かび、すぐさま「お銚子」 → 晩酌、とつながる自分・・・・。
 アア、ハズカシカーーー。
(74・S・49・10)