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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

外国拝見             (76)

 洋上研修。ーーー(日経連主催)全国の優良企業から、職長クラスの希望者を募り、
 洋上で研修を行う。)
  参加者約四百名を二十班に分けこれを二十名のコージネーターでの洋上研修を担当
 する。そのコージネーターの一人として、日石から派遣された。この間、船旅十七日。
 慰労・見学を兼ねて、途中、台湾・香港・マカオ・フィリッピンに上陸する機会を得た。
       
  今回から三回ほど東南アジア片々を、「号外」として掲載させていただく

             (船)
 船名、コーラル プリンセス号。一万トン。船籍は英国だが、本拠地は香港。船員は船長・副船長(英国)と一部の日本人を除きほとんどが中国人。
 十月十七日,快晴の横浜港を出港。いろんな船を知っているわけではないが、青函連絡船が ”ワタシ運ぶ船”なら、これはさしずめ ”ワタシ住む船”。・・・「動くホテル」といった感じ。

          (ボーイ)
 朝食は、中国人のボーイがたどたどしい日本語で、まず「ワショク?・ヨーショク?」と一人ずつ確かめ。”和食”と答えると、卵のことを「ヤキ?・ナマ?」とくる。注文を聞いて回って「ハイ、ワショク、ヤキ、・・」と注文に応じて軽く歌うように確認しながらセットしていく。たくまざるユーモアがあり、実にテキパキと明るく楽しそうに舞うように動く、それでいて、客一人ひとりの食事の進行具合に神経を配っていてソツがない。そんな人が食堂だけで十五~六人はいようか。まず日本で相当なレストランといってもこんな雰囲気のボーイを揃えているところはあるまい。
 職業意識云々という以前の、その為に生まれてきた人達のような感じ。その他、船内各室の片付け、カーペットの掃除、船のサビ落し・ペンキ塗り・・・細々とした雑役を、それぞれがそれぞれの役柄に徹しきって働いている。

          (船 酔 い)
 「船は海の上、海には波がある、当然揺れる。船に乗ったら諦めてその揺れに抵抗しないこと、吐いてもいゝから食べること、吐くときはデッキから風下へ向かって吐け、でないと吐いたものがまた顔にかゝることになる・・・云々」乗船前のオリエンテーションで何回となく聞かされた話。
 それでも酔う人は酔う。最初の三日間に二食しか食べられず、その二食も吐いてしまった・・・、と言う人もいる。 ”考えすぎるからいけないんですよ。他のことで気を紛らわして・・・、”と仲間がいくら心配してやっても、酔っている人は当然涙ぐましい努力はしている。だけど、食堂の敷居を跨いだ途端にもういけない。そのうち、食事を知らせるチャイムを聞いただけでムカつくという。  

 静かなようでも、廊下は両側の壁に手を添え、いつも体を支えながらの歩行。ひどい時は、灰皿や椅子が走り出す、ドーンと底から突き上げられて波の上でスクリューが空転する。ドドドド・・・と船体が鳴る。ベッドにもぐりこんでも,宙釣りにされてのけぞった格好で、頭から奈落の底へ落ち込んでいくような気分にさせられる。

       台   湾 (Ⅰ)         

       (上  陸)
 小雨にけむるキールン港。
 上陸時の注意。「目下、台湾は戒厳令下。海岸地帯・空港・橋梁・駅は勿論その他も高所からの俯瞰撮影は一切禁止。支那という言葉はご法度。他国の新聞・雑誌の持ち込み禁止・・・」。なるほど、港の向こうの丘の中腹に、何とか分譲地みたいな「臨港断域」というデッカイ看板がこちらを睨んでいる。
 着岸前にいかめしい官憲が十数名船に乗り込んできてテーブルを並べ、一人ずつ名簿・パスポートのチエック、続いてそれらと本人との首実検。・・・OKとなると、お祭りのおもちゃみたいな丸いワッペンをくれ 「上陸中、常時左胸に着用せよ。帰船後、交付したワッペンの数と返還数が揃わなければ、出航まかりならぬ」という。

         (歓  迎)
 きびしい入国手続きが終わっての上陸は「熱烈歓迎」である。埠頭に楽隊が待ち受けていて歓迎マーチ。中国美人がニコヤカにシャシャリ出て団長さんに花束贈呈。うんとお金を落としてチョーダイという意味か。
 マーチはお世辞にもうまいといえないが、寸法の合っていないだぶだぶのユニフォームで、光沢のないラッパを振り振りブガブガドンドン・・・その一生懸命さがかえっていじらしい。

          (雨)
 「小雨にけむる・・・」と書いたが、ここキールンは一年三百六十五日のうち三00日が雨だと言う。繁華街の店はすべて二階が歩道の上に突き出ていて、下駄をはいたような格好になっている。これがアーケード代わりで傘なしでショッピングできる仕組み。
 はずれの方に行くと,平屋の小屋みたいな店も負けてなるものか、店の前に竹竿を立てて二階の代わりにビニールを張り出している。

          (車)
 車は意外に多い。TAXIが主体。いずこも同じで、交差点には車がひしめき合っている。われ先に頭を突っ込んでおいて、やたらに警笛を鳴らす。人間のケンカと同じで、でかい音を出した方がハバがきくらしく、小さな車をヘイゲイしながらすり抜けていく。

        (看  板)
 中国語は分からないが,有難いことに漢字は分かる。
 「計程車ーーータクシー」。「請勿停車ーーー車置くな」。「電視機はTVで洗濯機は洗衣機」。「冷気車が冷房車」その冷気車が客を乗せ窓を開けて涼しい顔をして走っていく。「此処車禍多ーーー事故多発地域」。「停看視ーーー一旦停車」。「臨時公厠ーーー公衆便所」。「禁鳴喇叭ーーー警笛鳴らすな」。「有電勿近」は送電中の電柱といった具合。町の名前も「港南・汐止・松山・北門」と言った調子。
 ところで「可口可楽」は何の看板?。なんと「コカコーラ」と読むのだそうだ。

         (製 鉄 所)
 台湾錬鉄公司(公営・製鉄会社)」を見せてもらった。従業員は汚れたTシャツに運動靴はいゝ方で中にはサンダルばきも見かける。工場内はもうもうと煙、すゝが落ちてくる。天井(屋根)は、雨の時はどうするのか,大小無数の穴から空が見える。その天井の桁に「安全第一」と看板が吊るしてある。
 圧延機から真っ赤な鉄板が出てくる。ヘルメットにタオル、・・・日本のゲバスタイルそのまゝの工員四名が両側から長い棒で滑り出る製品を突っつきながら位置を修正する。火の鉄粉が花火にように飛び散る。
 歩きながら無駄な質問をした。「公害についてはどのような・・・?」。「いえ、ここは郊外じゃない、郊外はどことかから向こうです」。

         (構   内)
 社員食堂は、田舎の公民館といった感じ、ペンキを何回も塗り重ねた壁。天井にすゝのついた扇風機がぶら下がっている。壁には「工業報国」「衛生第一」とある。正面に蒋総統の写真、左右に青天白日旗が六本ずつ。
 工場内はほとんど舗装なし、いたるところに水たまり、ドラム缶が無造作に転がっている。廃材がそこ此処に山と積まれている。

         (軍   隊)
 「軍規ヲ守るモノノフハ,総テソノ数二十万、八十余カ所ニタムロシテーーー」日露戦争当時の日本陸軍の軍歌。そのころ日本の人口がどれくらいだったのか、人口千三百万人、九州くらいの大きさの台湾に、六十万人の常備軍を抱えている、予備役を入れると百万を越すと言う。
 すべてが軍事優先で、民間企業に回ってくる金がないとこぼしていたが、その台湾に軍備を他国に依存して繁栄を続けた日本から、観光客がひきもきらない。

         (蒋 総 統)
 偉大なる蒋総統。たまたま上陸した日が十月三十一日。今は亡き蒋総統の生誕記念日だという。学校・会社・官庁すべて休み、会社の門や、店の軒に国旗と一緒に「祝・生誕」のプラカードが出ている。
 町外れの低い軒の家々からどこも国旗が突き出してある。街中に中共の侵攻に対する危機感があふれ、塀や壁に「愛国必須反共。反共必須団結」といったスローガンが大きく書かれている。空襲時に、車はこっちへ・・・と矢印がある。防空壕がある。
 日本で言えば昭和十五・六年頃の雰囲気というところか。

(76・S・51・1・)