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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

また・また 悲しき酒(Ⅲ)        (83)

 「ああ、金・金・金!。・・・この金のために、どれほど悲しいことが起こることだろうか」(トルストイ・戦争と平和)ーーーこの文の「金」と言う字を「酒」に置き換えたらどうだ。

 時は戦国時代に遡る。
 織田信長は、名だたる酒豪だったそうな。一方明智光秀は下戸だった。ところが、この二人は主従の関係。いつも光秀は酒席になると 、酔った信長に ”酒を飲むか、この脇差を飲むか” てな調子でいじめられていたという。殿の命とあらば是非もない。飲めない酒を無理やり飲んで、ちょっと席をはずすと ”お主どこへ行っていた”・・・ ”しばし酔いを醒ましに” ”折角酔ったものを醒ますとは何事じゃ”てなことで、飲むたびにサカナにされいびられていたという。

 その恨みつらみが、天正十年六月二日。一万余騎の軍勢を率いて、京都六角四条坊門は西洞院油小路、”敵は本能寺にあり”・・・・の殴りこみに相なった。という、学校の歴史では習わない講談の一席。酒の恨みはオソロシカ。

 だが一方「あるべき所に、毛のないお方」という毛はえ薬の広告があるけれども、兼好法師流に言えば 「下戸ならぬこそ、をのこはよけれ」・・・全く飲めないオノコというものは、火のない火鉢、湯のない風呂桶みたいなもので何か物足りないと思うのは、少し言いすぎか。

 「酒飲みには人生が二つある。酔ったときと素面の時と」・・・という。確かに酒席というものには、昼間と違った意味での人生勉強がある。会社では四角四面な仕事の話でも、酒間談笑のうちにふと洩らされる人生の先輩達の言葉と言うものは、これは、そういう機会がなければ聞けない貴重なものである。

 そんな酒席で最近心にしみた教え・・・。
「なあ、おい,部下統率の要諦はな、つかず離れずということやで。つかず離れずと言う言葉は簡単じゃが、くっつきすぎず然も離れすぎず・・・これは難しいことやで」ーーーY・Tさんの話。

 若い頃T・Uさんに聞いた話。
 「人間はな、祝いごとの付き合いは忘れてもいい。本人が嬉しがっているのだし、そんな時は取り巻きがいくらでもいる。しかし不幸のときの付き合いは、これは心がけて面倒見なけりゃいかんぜ」。

 会社の宴席で若い連中と飲む機会が多い。宴たけなわ・・・さて歌となると、 ”シクラメンのかほり” ”毎日毎日ボクラは鉄板の・・・”という新しい歌に混じって意外に ”貴様と俺とは・・・” ”しっかりせよと抱き起こし・・・”といった軍歌が唄われ、そのうち必ずと言っていいほど「人生劇場」が登場する。
 ”やると思えば/どこまでやるさ/それが男の魂じゃないか/義理が廃れば/この世は闇だ/なまじ止めるな夜の雨ーーー”。自分達が生まれていなかった頃の歌が、何故こうやって時代を超えて歌いつながれていくのか。

 酔って唄うということは宴席で聞いて、いいなと思って覚えたからだろう。酔った席ではあれ、(酔ったればこそ?)心の底のどこかに共感するものがあったから旋律と歌詞が胸の中にしみついたのだろうし、そうやって歌い継がれてきたのだろう。
 日本人の心の奥底に流れているある種の”ナニワブシ性”というものは、時代、年代を超えていつでも誰にでもある。といえようか。
* 
 酒を飲んで注意したいこと三つ。
  

  1. 約束をするな。ーーー(飲むと気が大きくなる。何でも出来るような気

分になってきて、”ヨッシャ俺にまかせとけ”・・・という気分。いい気分ではあるが、時に約束したこと自体を覚えていないことがある。飲み屋の姐さん曰く ”ああ、そうかい。じゃあ今度持ってきてやるよ”と言った話は,初手からなかったもの・・・と思っていた方が気が楽だそうな)。

  1. 口論をするな。ーーー(意見の食い違いは素面のときに調整すべし。や

りあっているうちに、初手の論点はどこかへ行ってしまって、しまいには何が問題だったのかも判らないことさへある)。

  1. 人の噂をするな。ーーー(興味本位になりがちで、話に尾ひれがついて、

発展していく恐れがある)。

 ある女子社員のつぶやき・・・。「寒い夜、一杯飲むでしょう。そうすると、おなかの、ここんとこに、パーっと花が咲くでしょう」。・・・どうだい、この ”お腹の中に花が咲く”という表現。呑むということは、人を詩人にもするんだなあ。
(76・S・51・8)