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02-Jan-2013

あゝ 結  婚           (98)

「人間は、結婚しても結婚しなくても、いずれ後悔する。どうせ後悔するのなら結婚したほうがトクだ」。と言ったのは誰だったか?。

 ーーーところで、その結婚。
 何故か、一年のうちで五月と十一月が結婚シーズンということになっている。ご他聞にもれず、今年も十一月中の吉日は、いずこの式場も予約で一杯だと言う。
 世は太平。高度成長の恩恵をモロに享け、ひと昔・ふた昔前までは考えられかったほどに若年層の所得も増え、結婚する年齢も年毎に若くなってきていると言う。まずはお目出度い話である。
 近頃その結婚披露宴に招かれて感じることの片々・・・。

 TVの影響か、披露宴の演出が年々派手に手がこんでくる傾向にある。セレモニーだからと言ってしまえばそれまでだが、それらが定型化してしまって、感激性が少なくなった。
 新郎・新婦、手を携えてのローソクの点灯も、”お母サンーーー”と呼びかけるテープの台詞も両親への花束贈呈も。これが流行る前は意外性というか驚きがあったし、一つひとつに情がこもっていて新鮮であった。しかし近頃のようにこういずこも同じ趣向では、”またか ”という気になってしまう。

 ノリトにオハライ、三・三・九度はそれこそ欠かせないセレモニーとして仕方がないとしても、披露宴の方はもっと独創的で新鮮な進め方は出来ないものか。もっとも、奇をてらった、新郎・新婦の旧悪バクロ型や、無理やりに大勢の前で ”愛しています”と言わせて喜ぶ司会者の悪乗り型はもっと頂けないが・・・。
 そう、イメージで言うなら、山あいの渓谷を走る一条の清冽な小川の流れのような輝きと、激しさと一途さを思わせるような披露宴・・・。

 もうひとつ披露宴で感じることは、一般的に新婦がふくよかで、落ち着いた雰囲気を漂わせているのにくらべて、新郎が何となく頼りなげに見えること。これは自分が男であるため新郎に対する採点が辛すぎる面もあろうが、自分の結婚式の時の写真をみても、こんな青二才で、よくもまあ一戸の主として表札を掲げたものだと思う。

 男が頼りないもうひとつの証。同級生と称する新郎・新婦、それぞれの学友のスピーチが,参会者を引きつけてやろうとか、あの話をスッパ抜いてやろう、とかの計算や気負いが強い割りに、肝心の度胸が伴わないで、シドロモドドロになる例が多い。その点、女というのは意外と図々しいというのか、度胸が坐っているように見える。

 新郎・新婦の入場を見ても、新婦がまわりの友人・知人に、にこやかに微笑みかけ、会釈をする余裕があるのに比べ、新郎は大体シロッポクこわばった顔で、目の玉なんか動かす余裕もない、手袋や扇子を握りしめ、宇宙の果てを見つめているような、焦点の定まらない目付きで入ってくる。

 もっとも、やっと金的を射止め、神様立会いの上で、三食昼寝つきの完全就職のパスポートを手に入れた新婦と、これから「女房」という十字架を背負い、その上やがて生まれるであろう子供というカスガイを打ち込まれようという新郎とでは、緊張の度合いが違うのはやむを得ない。言ってみればゴールインした新婦と、スタートラインに立った新郎との違いということだろうか。

 事実こんな話を聞いた。
 いつもロータリークラブの例会で、世話役をするお嬢さんの立居振舞、心憎いばかりの気配りに惚れ込んだある重役さんが、是非うちの息子の嫁にと懇願し、目出たく話が成立した。
 ところが、息子の嫁になったその娘さん、これが同じ女かと思うほどの無精者、見かねた父親が問いただしたら、そのお嫁さんの曰く「ゴールに入ったのに、また走り出すランナーがいますか?」。

 ところで、披露宴では縁起を担いで、”分かれる””切れる” ”去る”といった言葉は禁句になっているが、最後に冷酷な数字をご紹介しておこう。
 昭和五十一年の統計。
 「コノ年ニ結婚シタモノ、八十六万七千人・・・三十六秒ニ一人。同ジ年ニ離婚シタ数、十二万四千人・・・四分十五秒ニ一人。ソレ以前ニ蒸発シテシマッテ捜索願ノ出サレタ主婦、九千八百七人・・・五十三分、約一時間ニ一人・・・」。
(77・S・52・11)