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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

面             (99)

 能の面、一面を仕上げるのに、職人がどれだけの心魂を傾けるか。
 まず材料には切ってから三十年も寝かした檜を使う。そしてあら彫りに一週間,然も彫りながら道具を研ぐのに、彫るのと同じくらいの時間をかけるという。

 そうして、やっと生地が出来上がり、これに彩色をほどこす、いろんな筆を使うが、細筆の場合,毛が一本切れても駄目だと言うくらい細かい仕事で、彫刻半分、彩色半分というくらい時間をかけるという。

 面白いのは、表が傷むといけないので、面は裏から彫り始めるのだそうだが、外には見えない裏を、表がやさしい面は裏も優しく、表がきつい面は裏もきつく彫るそうで、見る人が見れば裏を見ただけで、誰が打った面か判るのだという。

           誠            

「言うものは、行うものにあらず」という。・・・言ったからといって、必ずしも実行してくれるとは限らない。・・・「不言実行」に対して「有言不実行」をなじった言葉である。

「言」を「成す」と書いて「誠」と読む。言ったことを、確実に実行すること、即ち ”誠”。人の信頼は「誠」なくして得られない。

         能動・受動            

 元巨人軍の川上さんは、打者としての全盛時代、 ”打つ瞬間、ボールが止まって見えた”というが、かって西鉄ライオンズファンに ”神サマ・仏サマ・稲尾サマ”と言わしめ、西鉄黄金時代を支えた鉄腕・稲尾投手の話によると、 ”自分の全盛時代には、投げながら、自分の投げている投球フォームが自分自身で見えた”という。

 世阿弥は、能の心について、「目前心後」と説いている。「能を舞うとき、眼は舞台におけ、そして心は舞っている自分を観よ」という意味だそうだが、能の極地に通じる心でもあろうか。

 稲尾氏が投手の心構えについて ”打たれまい”と思って投げる球と、”打たせまい”と思って投げた球では、球の迫力が違うと言う。
 ”打たれないように”・・・と祈って投げる消極的な球と、 ”打たせてたまるか”・・・と思って投げる積極的な球では、球への魂の入り方が違うというのである。

 ある喜劇役者は ”客を笑わせようと思ってはいけない”、”客に笑われようと覚悟を決め、客が笑ったきっかけを掴んで、自分の笑いを作っていく”と言っていたがーーー。
 積極と消極、能動と受動・・・相手と戦うプロがメシの中から得た哲学。聞けば簡単に「成る程」と思うが、それらの哲学には血と汗がにじんでいる。

         最期の言葉          

 終稿にあたって、記憶に残っている最期の言葉についての片々・・・。

 ゲーテは死ぬとき ”もっと光を”と言ったというが、ナポレオンはセントヘレナで亡くなる(52歳)とき、 ”ああ、わが胃を如何にせんや”と嘆きつつ死んだと言う。アントマルキーという侍医がそう書き残している、と言うから本当なのだろう。多分胃潰瘍か胃ガンだったのだろうが、欧州を席巻し震え上がらせたナポレオンも、自分の胃袋だけはどうにも出来なかったらしい。

 講談の神田伯山は ”迷惑をかけたくないから、人には死んでから二十日か一ヶ月経ってから報らせろ”と言い残したそうで、事実一般に知れ渡ったのは死後二週間後だったそうだ。
 船橋聖一氏は ”俺の死に顔は誰にも見せるな”というのが、最後の言葉だったと言う。

 人それぞれに最期の思いがあるものだと感心するが、しゃれたところでは、シュバイツアー博士の”失礼します。私は少し疲れました・・・”。 ”オイ,いい夫婦だったな”というのは、徳川夢声さんの臨終のことば・・・。

 幸田露伴は、ずっと病床の世話をしてくれた娘さんに ”何もみないいね” ”いいかい、お前はいいかい”と聞き ”はい、よろしゅうございます”という答えを聞いて ”じゃ、おれはもう死んじゃうよ”といって目を閉じたと言う。天晴れなものではないか。

 もう十五年も昔になるが、落語家三木助の死が近いと言うので、安藤鶴夫さんが、田端の三木助の家へ駆けつけた。この時の状況を「三木助とメロン」という随筆に書いている。
 
 「駆けつけたとき、枕元に奥さんと文楽、志ン生・・・。
 三木助が、奥さんに長女の繁子さんを呼ばせてピアノを弾かせる。ピアノを末期の音楽にしようとしている。メロンを口に入れてもらう。メロンを末期の水代わりにして死んでしまおう、という空気が見える。だが三木助は死なない。何だか三木助の顔に、それが恥ずかしそうに漂っている」。

 それが判った文楽が、「あなた、そのネ。人なんてものは、そうたやすく死なないもんですよ」といった。「そうとも、そう、うまくいくもんじゃあねえ」と力を入れていったのは志ン生。安藤さんも黙っておれず「三木さん、なにもそう急いで死ぬことはねえッ」といった。
 この枕もとの三人の息が合って、集まった人達がどっと笑った。すると、三木助の顔に、さあっと赤みがさして「これじゃあ、なかなか死なれねえ」と言って笑った。
 それから七日経って三木助は本当に亡くなったというが、人生、達観して枯れると、自分の死をも外から眺められるようになるものだろうかーーーー。

(77・S・52・12)