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02-Jan-2013

無   題

 スランプである。考えがまとまらないまま締切日が来てしまったもので・・・と言い訳しながら「無題」と「題」して悪しからず・・・。

 オリンピック・ロス大会バレーボールで活躍した三屋裕子さん(現・筑波スポーツ科学研究所主任研究員)の話。
 「志を抱いて故郷を出るとき、母にこんなことを言われました。”・・・人生逃げてもそこからは何も生まれない。人間どんな道を歩いていても、必ず一度や二度は壁に当たることがある。その時に辛いとか苦しいとかいって逃げた人は、またどこかで同じように逃げることになるんだよ”・・・。
 辛い時苦しい時この言葉を呪文のように唱えながら、オリンピックで金メダルを取るまで・・・と、最後の三年は食事ものどを通らないハードな練習に耐えたました」。

 それで思い出した。土筆生も若い頃「仕方がない、という言葉を使うな。何事もやる気があれば出来ないことはない。逃げるな」と叱られたことがある。確かに、我々はしんどくなると、出来ない理由を何かとつけて「仕方がない」と逃げようとするけれども、ひょっとしたら「仕方がある」のに、その前に諦めてしまっているのかもしれない。

 だけど、それはそれとして、ここに人間ただ一つだけ、どううしても「仕方がない」ことがある。
 ーーーそれは、年をとること・老いること。これだけはどうしようもない。口惜しくても、無念の思いで未練を残しながらも、いずれ人は年をとり老いていかなければならない。

 結局、人生は与えられた星のもとで ”どう生きるか”しかなく、年を重ね・老いていくことは「仕方がない」のである。
 秦の始皇帝は、その権力と財力で、世界中に不老長寿の薬を求めさせ「老い」を遠ざけようとした。が、結局この世を去った。享年四十五だったという。

 人間、どんなに功なり名を遂げ財を成した人でも、もし神様に「お前の願いをひとつだけ適えてやる」といわれたら、何をおいてもためらうことなく「”若さ”が欲しい」というのではあるまいか。

「若さ」ということについて、土筆生にこんな思い出がある。
 係長の頃、新入社員教育の仕事を与えられた。四月に入ってきた新入社員を全国に配属する前に研修所に集め二週間、合宿形式で寝食を共にしてオリエンテーションを行うのである。その研修所に訓話をするために、次々に重役さんがお出でになる。時間が来るまで、我々担当者が無骨な手つきでお茶など出して間をとりもつ。
 そんなある時、ある重役さんがお茶を飲みながら「君が担当の係長かね?。毎日新入社員と合宿で大変だね。ところで、君幾つになるね」・・・「三十三歳です」・・・「そうかい、若くて羨ましいね」としみじみ言われ、「あれ?」と怪訝な気持になった。

「今自分は、朝の起床からランニング・研修と起きてから寝るまで新入社員と一緒になって生活を共にしている。自分も新入社員も今こうしているのは、自分のため会社のためではあるけれど、お互い日石に入って最後の目的は、なろうことなら、その重役さんのようになりたいと思って日々努力しているのではないか。それなのにすでに日石でそこに到達し眩しいようなその地位にある人が、これから先どうなっていくのか、一寸先も分からない若造のことを”羨ましい”とはどういうことなのだろう?・・・」。
 ーーーそして、今「若さが羨ましい」と言われた、その気持ちが判る年になってしまった。

      電車の窓の外は
      光にみち
      喜びにみち
      いきいきと生きづいている
      この世とももうお別れかと思うと
      見なれた景色が
      急に新鮮に見えてきた
                高 見 順「死の淵より」

(91・H・3・2)