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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

無  題 (Ⅳ)

 十二月である。師走である。
 今年もこれでおしまい、何とも忙しく、慌しい・・・という言い訳で、今回も最近読んだ本中から気に入ったのを集めて「無題」第四弾。悪しからず。

 酒を飲んだからといって、言っていいことと悪いことの区別くらいは知っている。しかしながら、サラリーマンの生活には,酒を飲まなければ言えないことだってあるのだ。困るのはそれが往々にして、言って悪いことと一致してしまうことだ。

 人間には何故シッポがないのか?。
 ・・・擦り切れるほどよく振った奴が、生存競争で生き残ったのである。

 結婚は、鳥かごのようなものだ。外にいる鳥達は中に入ろうとし、中にいる奴は外に出ようともがく・・・。

 捨てきれぬ 荷物の重さ 前うしろ   (山頭火)

 昔の巡査は、湯屋の帰りに立小便している男に会うと、すれ違いざま、 ”そんなところで手ぬぐいをしぼるな”といったそうである。

 春くれてのち夏になり、夏果てて秋の来たるにはあらず。春はやがて夏の気配を催し、夏よりすでに秋はかよい・・・。(徒然草)

     梅は匂ひよ 木立はいらぬ
           人は心よ 姿はいらぬ

 新陳代謝といって、古いものは去らなければいけないのである。十年前にしばしば遊んだバーへ十年たって行ったら、一人も知った女がいないのがいいのである。尋常なのである。「まあ、しばらく」と言って十年前の女達が勢ぞろいして出てきてはいけないのである。それは失礼なのである。

 絵画は沈黙の詩であり、詩は雄弁の絵画である。
 *
    (起)京都三条 糸屋の娘
    (承)姉は十六 妹は十四
    (転)諸国大名 弓矢で殺す
    (結)糸屋の娘は 目で殺す

 二十五歳のとき、私は何と狭量だったか、狭量のことを、人々は ”純粋”というのだろうか。

 手ですくった砂が/やせ細った指の隙間から洩れるように/時間がざらざらと私からこぼれる/残り少ない大事な時間が.

 鶯は 誰にも媚びずに ホーホケキョ

 寸にして断たざれば 尺の憾みあり、尺にして断たざれば 丈の憾みあり
 たとへ一木と雖も これを双葉にして刈り取ることは,極めて容易である。

 よき細工には 少しにぶき刀を使ふといふ。

 「千石も万石も米五合という。千・万石の殿様だって、食べる米は一日五合。千畳敷きの部屋で寝られる身分の人でも,寝る場所は一畳でしかない。どんなに欲張ってみても、満たされる欲望は限られたちっぽけなものだ。

 だから結婚は妥協しないほうがいい、と私は言いたいのだった。相手の欠点が楽しいと思えなければ、我慢して結婚しないほうがいい。

    サラリと 流していかん 川のごとく
    サラリと 忘れていかん 風のごとく
    サラリと 生きていかん 雲のごとく

 「優しさ」とは、文字のとおり「人を憂うる」ということではないか。

 「ゴセイキョヲイタミ ツツ シンデオクヤミモウシアゲマス」。

 仕事に打ち込んでいる顔と、飲んでいるときこうもあろうかと想像する顔が、ぴったりと重なって不自然でない、そういう男が好きーーー。

    ややありて ふたたびもとの 闇となる
           花火に似たる 恋とおもひぬ

 自分が不在のとき、友人達が自分のことをどんな風に言っているかを知ったら、人は一人として友人を持ち得ないだろう。

酒を飲むことに関する唯一無二の自己弁護・・・。「酒をやめたら、もしかしたら健康になるかもしれない。長生きするかもしれない。しかし、それは、もう一つの健康を損なってしまうものだ」・・・と思わないわけにはいかない。

    世の中に 金と女は仇なり
         早く仇に めぐり合いたい

    屁もひらず 沈香もたたかず 年の暮れ
(83・S・58・12)