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02-Jan-2013

ケ・セ ラ・セ ラ

 大分昔のことだが ”ケ・セラ・セラ”という歌が流行ったことがある。何語か知らないが ”なるようになるさ”という意味らしい。逆に言えば”なるようにしかならないさ”ということか。

 有名なマーガレットミッチエルの「風とともに去りぬ」の最後の一節は「Tomorow is anotherdays]という言葉で終わっている。「明日は明日の日が照る」と訳してあるが、俗っぽく言えば「明日は明日の風が吹くさ」・ということだろう。

 先日、有名なMという老俳優がインタビューに答えて「明日また生まれて、そして、昨日の米がいくばくか残っていれば、それが幸せというものだーーー」と言っていた。ちょっとキザといえばキザだが「明日また目が覚めて・・・」といわず「また生まれて・・・」といったところが、”あらためて、また生きていこう”という感じが会って印象に残っている。

 言ってみれば、人間誰しも明日のことは判らない。人間の最後はとどのつまりは、眠ってそのまま目が覚めない、ということだろう。そういう意味では、日々新しく生まれて、その上に前日の蓄えが少々残っていてくれれば、それが取りあえずの ”幸せ”ということではないか。

 明日以降のことはどうなるか誰にも判らない。昔から来年のことを言えば鬼が笑うというけれども、先ざきのことをあくせく考え悩んで、そのことだけで、その日その日の幸せを逃しているとすれば・・・勿体ない話ではないか。

     昨日また かくてありけり
     今日もまた かくてありなむ
     この命 なにをあくせく
     明日をのみ 思いわずらう

 高僧、一休禅師が亡くなる時、”寺に困ったことが起きたときには、この書を開け”と言われた。いよいよ寺に危急存亡のことがおこり、その遺言書を開いてみたら「なるようになる、心配するな」と書いてあったという。

    「明日のことを思い患うな。
     明日は明日みずから思い患わん。
     一日の労苦は一日で足れり」
                (新約聖書)

 投げたようではあるけれども、取り敢えず自分の立っている「今」を見つめて、かけがえのないその日を大事に過すべきではないか。

 唐の詩人、李白の詩は美しく、こう詠っている。
 「我を捨てて去るものは、昨日の日にして留むべからず。
  わが心を乱る者は、今日の日にして煩憂多し。
  長風万里、秋雁を送る。此に対し以って高楼に酣なるべし」。

 (昨日という日は、俺を捨て去ってしまいもう戻っては来ない。今日という
 日は、俺の心をかき乱す煩わしさばかりが多い。万里の向こうから吹き寄せ
 る風が秋の雁を送ってきた。人生もまた風まかせじゃないか。高殿に登って
 盃でも交わそうよ)。
         (中  略)
「刀を抜いて水を断てば、水さらに流れ、
 盃を挙げて愁いを消せば、愁いさらに愁う。
 人生,世に在りて意にかなわざれば、
 明朝、髪を散じて扁舟弄せん」

 (刀で水を断ち切っても、水の流れは止まらない。酒で愁いを消そうとして
 も愁いは止まらない。人生、思うようにならぬとあれば、明日の朝は冠を
 捨てて小舟で湖でもさまよおうか)。

 さて、余白がなくなってきた。締めくくりはスタンダールのパルムの僧院からー。

「人の世は短い。与えられた幸福をとやかく言うな。急いで楽しめ」。

(84・S・59・12)