奥 義 (13)
柔道で ”自然体”という構えがある。 ”構え”というよりもむしろ、自然に突っ立った、どこにも力がはいっていない、全く無理のない姿勢のことである。
剣道で ”正眼の構え”という。自然に歩いてきて、右足が前・左足が後ろで次の動作に移る前の足の開き、背の伸び、腰の構え。そして右手をつば元に、左手を束の端に持って構えると、切っ先は相手の眉間にピタリと定まる。これが「正眼の構え」である。
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永年かかって、名人達人によって見極められて来た究極の奥義が辿りついたところは、どこにも偏った力の入らない、逆に言えば体中から無駄な力を抜いた姿であった。
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利休は茶のこころについて「夏は如何にも涼しきよう、冬は如何にも暖かなるよう,炭は湯の湧くように、茶は服のよきように、これにて秘事は相すみ候」と述べているという。。
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ところが、われわれの日常生活の中では、一番自然で簡単なはずの ”炭は湯の湧くように”ーーーといった、無理のない自然なたたずまいがなかなか出来ないのが実情である。どこかに力を入れるより、どこへも力をいれないことのほうが難しいということ。
”春の夜風に吹かれる柳”・・・という心境に到達したいものである。
経 験
「亀の甲より年の功」という。確かに経験は、何にも代えられないもの・・・。幼児にストーブの怖さをを教えるのに ”熱いもの” ”火傷するもの”と理屈で言って聞かせるよりも、実際に燃えている熱いストーブに手を近づけて、熱い実感を体に味あわせることの方が効果があるという。
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塩の辛さはなめてみなければ判るまい。一杯の酔い醒めの水が、どんなにうまいものであるかは、酔ったことのあるものでなければ判らない。
伝 承
小三の子供と風呂に入っていたら 「カラリト晴レタ雨ノ日ニ 一人ノ侍ゾロゾロト 長イ短剣右ニサシ 黒イ白馬ニマタガッテ 前ヘ前ヘトバックシタ・・・」と朗読するように朗唱しだした。何だと聞いたら面白いので学校で誰言うとなく流行りだしたのだという。
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ところが、もう三十年近くも昔の話。九州西端のN市で小学校を過ごした自分にも、これと全く同じ文句を、友達と ”黒イ白馬ニマタガッテ・・・”とやった覚えがあるのである。しかも、今の子供の暗誦している内容と一言一句違わない、全く同じものなのである。
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九州と関東、しかも三十年もの時の経過の中で、どのようにして、こうも確実に伝承されていくものであろうか。
心 中
昔、同じ町内に、SさんとYさんという家があった。狭い町内で、母親同士が親しく事ごとに行き来するので、自然子供たちも知り合いになる。
Sさんのところの年頃の息子さんと、Yさんところの娘さんがいつの間にか憎からず思い、そのうち愛し合うようになってしまった。事の結末として、
”結婚”を・・・と夫々の両親に申し出た。
ところがどういう訳か、それぞれの両親が、夫々の相手と結婚する事に猛反対したのである。
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親同士にしてみれば,うわべは親しげに交際していても、或いはむしろ親しく交わりを結んでいたから、相手方の家庭の欠点があまりにも判りすぎて ”あんな家へうちの娘をやるなんてとんでもない” ”うちの息子にはもっといゝところからだって嫁は貰える”ということででもあったろうか、とにかく、両方の両親が夫々に反対なのだから話にならない。
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ところが、話はこゝからなのである。
ある日、突然二人が居なくなってしまった。そして、間もなく、夫々の家へ二人から手紙が届いた。
”この世で添えないならあの世で・・・”という手紙に、噴煙たなびく阿蘇の噴火口で、二人にこやかに肩を組んでいる写真を添えてーーー。
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それから二人は、本当に噴火口に飛び込んでしまったのである。
そして、結末は ”そこまで思いつめていたのなら”———と夫々の両親泣きながら二人の位牌を添わしてやったのである。