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02-Jan-2013

無用の用            (14)
  
 最近は床の間に荷物を置く客が増えた、と旅館の女中さんが嘆いていた。昔はそんなことはなかったそうだ。
 この世知辛い世の中で、床の間のスペースなんかとっておられるか、というのが規格化されたアパートであり、それも畳だと、畳の数でX畳に住んでいるつもりでいたら大違い。最近は団地サイズとやらで、昔の畳よりずっと型が小さくなっているのだという。

 床の間が、建築構造的にどのような歴史と経過を辿ってきたものかは知らない。しかし、世の中が世知辛くなればなるだけに床の間に限らず、われわれの生活の中にも、床の間のような余裕をとっておきたい。

 まだTVがなかった時代、ラジオで一世を風靡した徳川無声の ”宮本武蔵”の朗読。何があのように聞く人々を魅きつけたのか、その極意はただひとつ、  ”間”のとりかただったのだそうだ。
 無駄なようで無駄でないものーーー床の間のような ”無用の用”について考えるくらいのゆとりを持ちたいものだと思う。

         浮かぶ瀬            
 
 暑い。———部屋の中から 照りつける外を見て、あの中に身をさらさなければならないのかと思うとつい億劫になる。人間誰にもそのような気持はある。
 しかし、そこは考えよう。 ”出ようか、出まいか”、と迷う心の間隙があるから億劫にもなれるのであって、初手から出なければならないものであり、そのようなものだと思い込んでいるものであれば、それは、もう、イヤもオウもないのである。

 新聞配達や牛乳配達を職業とする人たちは、朝寝坊の人からみれば、”大変だろう、人が寝ているうちに働いてーーー”と同情心がわくが、案外、当の本人達は傍から思うほどそんなに辛いとは思っていないのではあるまいか。中途半端な腰掛の気持ちでなく、それが自分の「仕事」だと思い込んでいる人達にとっては・・・。

 あゝだこうだと、遅疑逡巡するから、あるいはそのような間隙があるから、暑かろう・寒かろうと考える余裕が生ずるのであって,要は自分自身を納得させられる 「諦め」があるかどうかの問題ではないのか。
 だから、暑い暑いとボヤク人には、どこまでも暑いし、そんなこと意にも介さない人には暑さの問題は生じて来まい。

 「身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」ーーーと古人も言っているではないか。

           旅             
  
 日石を定年退職し、それぞれに再就職された方達とまとまって盃を交わす機会があった。話はどうしても,良かった日石時代の懐かしい思い出話になる。人は自分で自分の顔が見えないように、その中にいるときには、そこの良さは判りにくいものである。外国に行って初めて日本の良さが判るのと同じだろう。
  *
 ”隣の芝生は青く見える”、という。俗説的にはそんなこと判っていても,残念なことにこれは実際に隣に行ってみて、そこから、隣としての芝生と比較してみなければ判らないのである。
 昔の人が言った ”可愛い子には旅をさせよ”という言い古された言葉の中に、どれだけの重みがあるものかは、旅をしたものでなければ判らないものであろうか。

 今日石にいて不満をいう人達に、せめてーーー”目を閉じよ、そしたらお前は見えるだろう”という箴言でも贈ろうか。

         情  報            
  
 赤穂の浪士、四十七人は、講談本によれば、吉良邸への討ち入りを深く心に秘め、それぞれに堅く口を閉ざして、馬子からまで馬鹿にされ、さぞ辛かったろうという。読む人にとっては、そこのところの心情を察するから、それが講談になり浪曲となって大衆に受けるのだがーーー。

 しかし、案外当の浪士の方は、馬子に手をつき頭を下げながら、心の中では、もひとつ高い次元から馬子を見下ろして ”お前は何も知らないが、俺は知っているんだ”という優越感をもって、本当は逆に浪士の方が馬子を馬鹿にしていたのではあるまいか。
 人が全く知っていない情報を、俺だけは知っている、或いは知らされている。ということからくる優越感というものは、意外と大きいものであるからーーー。

(69・S・44・8)