老 屋 (21)
転勤。・・・豪雪の地で、三年も人の住んでいなかった家に住むことになった。障子・ふすま・壁その他、目に付くところは入居する前に手を入れておいたのだが・・・。
しょぼしょぼと雨が降っていた。家族を迎えてこれがこれからお前たちの住む家だ、と連れて行った日。玄関を開けたら雨だれがポツンポツンと玄関のたたきと廊下を濡らしていた。
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トラック便で、入居する時刻に合わせて来るはずの荷物を待って、まずはともあれ、何もないがらんとした部屋の中に、家族四人が受ける容器もない雨だれを見つめながらぼんやり座っていた数時間。ーーー心の中を隙間風が吹きぬけるような、わびしいうつろな気持ちだった。
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あの日から半年。
日々の生活のすさびの中で気がつかなかったが、あの日の気持ちになって振り返ってみると、何と家の中のものすべてが、あるべき所にあるべきたたずまいで息づいていることか。
生なきものへの生活の浸透とでもいうのだろうか。生命のない障子が、壁がーーーあの日と全く同じ姿のまゝでありながら、いのちを持って語りかけてくる。
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人が住むべく建てられたものには、やはり人が住んで初めて生命が与えられる。物理的には誰も住まない方がそっとして傷まない筈であるが、人間の生活には、物理的な法則だけでは割り切れない情(こころ)というものが存在するようである。
三 年
義大夫のことはよく知らないが、この世界で ”笑い三年 泣き三月”という言葉があるそうだ。泣きのふりは三月くらいで覚えられるが、一人前に笑えるには三年はかゝるということだろう。
面白いことに、尺八では ”あご振り三年 音三月”というそうだ。音を出すだけなら三月、本当の尺八の音色を出せるのには三年かゝるということだろう。
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総じて昔の人は ”石の上にも 三年”といった。何をするにも少なくとも三年は我慢しなければならないということである。また昔の人は ”十年ひと昔”ともいった。何をするにも三年目くらいからやっとまあ形がついて、これという一人前の仕事がやれるようになるのには十年かかる。十年を一つの節として時代ができるということだろう。
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”もも くり三年 柿八年”。柿だって植えてから食べられるような実がなるまでには八年かゝるのである。
眼
どうしたことか、右目がかゆいな、と思っていたら、だんだん上瞼が腫れて来た。翌朝眼を覚ましたら、めやにと膿で瞼がくっついて右目が開かない。何のこれくらい、と眼帯をはめて出勤したがーーー。
たかが片目の事ながら、まあ何と不便なことか、おまけに何ともうっとうしいうえに、残る片目にすべてを集中するせいか、頭の芯まで痛くなって・・・。大げさに言えば、顔中が右目になったようでありながら、逆に左目で見る世の中は半分になったようなーーー。とにかく当人にとっては大変な事である。
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ところが、この眼帯氏に対する他人の対応はまったくいゝ加減。 ”オヤ、どうしました?” から ”永年の悪行がとうとう目に来ましたか” ”何てったって、飲みすぎですよ”etc・・・。
とにかく当人にとっては ”メ ”でも、他人にとっては ”メじゃない”のである。
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人は、ふだん何かのことについて、自分が感じているように、人も同じように感じているものだと思いこんでいて、別に気にも留めていないものである。しかし、考えてみると自分の立場から(自分の感じ方で)みた事柄と、他人の目から(他人の感じ方で)みた事柄の間には大きな隔たりがある。———ということを知った上で、あらゆる事柄を見る必要がありそうである。
一・二・三
釣りキチの友人から、魚つりの秘訣として、
「一、場所 ・二、餌・ 三、仕掛け」。ということを聞いた。
ついでに、こういうのはどうだ。
女の嫁入りの条件・・・
「一、引き・二、運・ 三、器量」。
。男のもてる条件・・・
「一、暇・ 二、金・ 三、男」ー。ーーけだし、名言だと思うが如何?。