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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

組  織           (26)
  
 胃の健康な人は胃の存在に気がつかない。我々はふだん心臓が動いている事さへも忘れている。確かに健康な者は自分の五臓六腑の存在を意識していないものであるが、一たん自分の胃の処理能力を忘れて、いゝ気になって飲みすぎたり食べ過ぎたりすると、胃袋はそれらのものを逆戻りさせる運動を起こす。

 剣道で相手が打ってくる。これを竹刀で払って打ち返す。瞬間的なそれらの複合された動作は、稽古によって鍛えられた反射神経の作用である。
 これらの、吐しゃしたり下痢したり、あるいは瞬間的に危険なものをよけたりする体の運動は,それぞれ、脳からの指令によって行われるのではない。体のそれぞれの分野が全体としての個を安全に維持していくために,各々の責任において、誰からの指示もなく行っているのである。
 会社の組織も、この我々の体のように、各々の分野でおのおの責任において処理することが、そのまま全体としての経営の維持発展につながっていくようになれば申し分ないのだが・・・。

         タイミング          
  
 先輩からこんな話を聞いた。戦争中、南方の第一線での話。
 「自分が “備前なんとか”という銘刀を持っていることが部隊中に知れ渡って皆の羨望の的だった。たまたま敵のスパイが捕まり、裁判の結果刑が確定して死刑と言うことになった。よし、この際あいつの自慢の刀がどれくらい切れ味のいいものか試してみよう、ということになり呼び出された。  
 血気盛んな若い時代のこと、 ”よし、やってやる”と穴を掘りその前に目隠しをして据えられている敵の首めがけて、気合もろとも刀を振り下ろした」。

 「いやあ、人間なんてそんなに簡単に切れるものじゃありませんよ。首の骨にガツッとあたって刀がとまってしまった。そのショックで目隠しが半分ずれて下からものすごい形相で睨み上げられた。その目つきが忘れられないで、長い間うなされ続けましたよ」。

 この話を聞いて、次のような話を思い出した。いつの時代のことか知らないが、何かで読んだ話。
 昔、人呼んで ”首切り朝右衛門、”と言う人が居た。その名の示すように、死罪の確定した罪人の首をハネるのを役目にした人だそうな。
 ところが、彼はいつも実に見事に、それこそ首の皮一枚残さずスパッと罪人の首をはねたというのである。

 彼の首の切り方はこうだったという。後ろ手に縛られ目隠しをされた罪人が刑場に据えられる。名うての凶状もちだとて、いざこれにてこの世とおさらばという土壇場、目の前は真っ暗、いつ冷たいヤイバが自分の首に打ち込まれるか恐怖と不安で。コチコチ。
 そこに朝右衛門が白刃をふりかぶり、 ”覚悟!”とか何とか言って後ろに立つ。そこで普通の人なら ”ヤーッ!”という掛け声もろとも刀を振り下ろすところを、彼は”ヤーッ”と裂ぱくの掛け声をかけておいて、ひと呼吸おき、それから無言で刀を振り下ろしたというのである。

 その、ひと呼吸のタイミングが、彼が長い経験の中から体得した ”首斬り法”だったわけ。
 首を切られる罪人の方は、それこそ必死。 ”やーっ”と声がかかった瞬間に体中の力が首に集まって硬直して石みたいになるだろう。そこに刀を振り下ろしたのでは、いかに刀でも抵抗を受けるに違いない。そこで、ひと息のタイミングおくと、罪人の方は、掛け声もろとも首をハネられたと思うか思わないか判らないが、とにかくその直後、逆に一瞬集中した力が抜ける瞬間があるに違いない。朝右衛門は、そこのところを無言でバッサリ切り落としたというのである。

「タイミング」ということ、ーーー我々の生活の中にもこのタイミングということを考えないばっかりに、無用の力を使い、しかも結果も思わしくない、ということが往々にしてあるのではあるまいか。
(70・S・45・8)