家 庭 科 (28)
”ごきぶり亭主”という言葉がある。・・・ゴキブリのように生活力があり、ちょっと叩いたくらいではへたばらない”、という尊敬をこめた意味ではなく、 ”台所あたりををうろうろするゴキブリ程度”というさげすみの意味をこめた,女族化した亭主の謂いであるらしい。
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近頃の小学校では、家庭科というのがあって、男の子も針箱を揃えさせられ、雑巾か何かを危なっかしい手つきで縫ったりしている。先日は学校に米とお椀、その他何だか持っていかねばならん、とメモを出して台所でゴソゴソと揃えている。クラスの連中が、誰は何・・・と材料を割り当てられて、とにかく何かを作るのだという。
最近の小学校では、 ”ゴキブリ亭主” の卵を養成しているのだろうか。
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土筆生が子供の頃は、うっかり台所へ入っていくと ”男はこんなところへ来るもんじゃない” と、母は勿論女中さんにまで叱られたものである。邪魔なこともあったろうが、九州という土地柄のせいか、或いは時代のせいか、何にせよ、男と女は違うもの、という育てられ方をされた。
風呂に入る順番も家族の中で、子供でも男が先に入るものという不文律があった。多分誰がそうしろと言ったわけでもないのだろうが、何となく先祖代々そうするように決まっていたようである。
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男尊女卑がどうの、封建制がどうのと言うことを言いたいのではない。
”こゝは女の城、この領域は女に任せてもらいたい。あなた方男がふらりと入ってきて面白半分にかき回せるところではありません” という自負もあったろうが、すべてで男をタテルことによって ”その代わり男は男らしく家庭の雑事にかかずりあわないで、悠々と女には分らない男の領分で大きなことを考え、行ってもらいたい。”ということだったのだろう。
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学生の頃、もう戦後ではあったが敗戦直後で、当時はまだナイロンなんて丈夫なものもなく、靴下はすべて木綿で、まだ女性ほど強くなっていなかった。
困ったことに、その靴下は一番修繕のしにくいカカトのところに穴があくものである。親元から遠く離れた玄人下宿で、食うものにも困ったが、この靴下の繕いには手を焼いた。ところがよくしたもので、それにはそれなりの先輩がちゃんといて、その繕い方を教えてくれたものである。
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まず、適当な大きさの布を中から穴にあてがい靴下の中に電球を入れて、この布を内側から押さえてしぼる。そうすると、ぴったり穴をふさいだ布が、ちゃんと カカトのふくらみを残して靴下に密着する。そうしておいて縫うと、針はガラスには通らないので滑って先へ進む。こうやって針先を上下させながら進めていくと、苦もなく修繕ができるという寸法である。さしずめ ”窮すれば通ず”という ”生活の知恵”とでもいうところか。
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とれたボタンの取り付けも、四つある穴に十文字に糸をつけると、その交わったところが高くなる。当然その部分が擦り切れやすい。だから四つの穴を二つずつ平行に使って縫いつけたらよいーーーこれも下宿時代に覚えた生活の知恵である。
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ごはんの炊き方は、下宿の部屋で火を使うのはご法度だったが、空き腹にはかえられず鍋と七りんを用意し、水加減も米何合に水何CC・・・なんて科学的なものではなく、洗った米の上に指を立てて、中指の関節のこのあたりまで水を入れてーーーという流儀であったが、結構おなかも壊さずに過ごしたものである。
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おかげで、今でも電気釜の使い方は知らなくったって、二日や五日女房が寝込んでも子供を飢えさせないくらいのことは出来るつもりである。
自慢じゃないが、料理と名のつくものは、ライスカレーの作り方ひとつ知らないが,、だからと言って小学校の家庭科で習ったことが、どれだけ役に立つとは思えない。そんな余った時間があったら、 ”昼寝の仕方”でも教えたらよかろうと思うが如何なものか。
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もっとも、でかいこと言ったって、女房の留守中に準備しておいてくれた食事の前に、飲もうと思って出したビールの栓抜きの有りかが分らず、ペンチで抜くような頼りない宿六のいうことである。適当に読み流して頂きたい。