余 暇 (37)
レジャーの花ざかり、今年の五月の飛び石連休には、全国で二千五百万人の人がレジャーのために移動したという。一億人の四人に一人である。
週休二日、四直三交替・・・確かに余暇は増えている。これを評して ”懸賞で、待望の車が当たったが、気がついてみたら運転の仕方を知らない、あわてて免許を取りにいってるような状態・・・”と言った人があったが、まさにそんな状態だろう。
”テレビでごろ寝。レジャーか、寝ジャーか・・・”そんな自嘲めいた話を聞くが、いずれにしても、まだ我々は真の意味での余暇の過ごし方を知らないのが実情だろう。
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こんな話を聞いた。
さる精神病院での話。真夜中に看護婦さんが院長のところにすっ飛んできた。 ”今日入院した患者が、風呂場で釣りをしている”というのである。院長が行ってみると、なるほど、その患者さん、浴槽の中へ釣り糸を垂れて一心にウキを見つめている。 ”こんなところで、魚が釣れるか!”と一喝しようと思ったが ”待てよ”と考えた。もともと頭の調子がおかしくて入院してきた患者である。そこは院長先生、余裕を示して ”どうです、釣れますか?”と尋ねてみた。ところが、その患者の曰く ”先生、浴槽で魚がつれる訳ないじゃないですかーーー”。
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笑い話みたいな話であるが、この話を一概に笑ってばかりもおれないのである。
隣が行くから俺も行く式の二千五百万人より、この患者のほうが余ほどしっかりしているのかも知れない。本当に釣りが好きな人なら、竿を持つことの中に、ウキを見つめることの中に,精神の安定を求め、自分の余暇を見出すこともできるだろう。
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運転の仕方も知らないのに車が当たってしまった。ーーーだが、あわてることはあるまい、一度しかない自分の人生を有意義に送るために、運転の仕方をじっくり勉強しよう。
諦 め
水の中に勢いよく飛び込んだ。
水に入った瞬間 ”しまった” と思ったがもう遅かった。胸いっぱいに空気を吸い込んでおくのを忘れたのである。体はすっぽりと水の中に入り、飛び込んだ勢いでどんどん下へと沈んでいく。どこまで沈んで行くんだろう?。だんだん息が苦しくなる。 ”そうだ、泳げばいいんだ”ーーー必死に水面に向かって泳ぎ始める。幸い下の方に沈む勢いはなくなり少しずつ上へ向かって進み始める。
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ちょうどスローモーションのの画面を見るように、ゆらゆらと自分の行動が見える。
苦しいーーーひとかき、ひとかき少しずつ体は上がっていくがとにかく苦しい。めちゃくちゃに苦しい。息が止まる。ーーーもうひとかきで水面に手が届くというところで、とうとう力がつき手足がうごかなくなってしまった。
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空気を吸うのを忘れたのだから浮力がない、手足の動きが止まると同時に、また体は下へ下へと沈み始める。 ”ああ、もう駄目だ”と観念しきったとき、何故か急に楽になった。もう苦しい息を押してじたばたする必要もない。ただ、もうこうやってじっとしていればいゝんだ。いや、そうするより仕方がないんだ。ああ、人間ってこうやって死んでいくのか。死ぬってことは、意外に安らいだ、変に刺激のない、どこを突ついても痛くないような状態でやってくるものなのだなあ。
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そんなぼんやりした感覚の中で、体はやはり下へ下へと沈んでいくーーーあゝ、これでおしまい。自分で自分を諦めてしまい、すべてを完全に諦めきってしまったときーーー急に楽になった。
おや、回りの様子がおかしいーーーなんとその水に底があったのである。沈みに沈み落ちに落ち、完全に諦めきったとき、水の底から外へ出てしまっていたのだった
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ああ、俺は生きていたのか、それにしてもさっきは苦しかったなあーーー。
酔い覚めの水を飲みながら、さっきの息苦しさが実感としてまだ胸の辺りに残っていた。
ーーー本当にみた夢のお話ーーー。