精 神 力 (39)
「精神一到何事か成らざらん」という。子供の頃読んだ絵本。ーーー支那の人が馬にまたがり今にも跳びかかってきそうな虎に向かって弓を引き絞っている絵を思い出す。
虎が出た、殺さなければ殺される。必死になって弓を射たら、見事命中。ほっとして傍へ行ってみたら虎と思ったのは、実は虎の形をした岩だった。ところがその岩に先ほど射た矢が突き刺さっていたという。ーーー」 ”一心岩をも通す”という話である。
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まさかーーーと思う。しかし、我々の持っている精神力というものは、これは相当なものであって、火事場の馬鹿力というか、いざ土壇場になった時にはふだん持てないものも、無意識のうちに持ち上げたりできるのは事実である。
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自己のそれまでの最高記録を、自ら破ってオリンピックで新記録が出るのも、ベルリン大会の前畑選手の例を引くまでもなく、自らの最高に達した体力,、技量にそのギリギリのところで,精神力がプラスされるからではないか。
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”心頭滅却すれば火もまた涼し”ーーーと、そこまではいかなくても、我々の日常生活においても、自らの気の持ちように左右される部分が相当にあるのは事実である。
スポーツの試合が終わった後の疲れ方は,、勝っても負けても物理的にはその量は同じ筈であるが,、勝ったときと、負けたときの疲れ方は明らかに違う。
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病だって気持ちの持つ部分が大きいし、寒中水泳で風邪をひかないのも、それに向かう精神力によるのではないだろうか。ーーー「つらい」「きつい」をどこかの点で踏みとどまって我慢する意地。こらえ性、耐性・・・何でもいい、そのような精神面の鍛錬を日々心がけておく必要がある。
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人間は、食べたい、食べたい・・・という意志のもとで食糧がないと、四~五日で餓死することがあるそうだが、自らの意志で断食した場合は一0~二0日食べなくても死なないそうである。
確 認
縁側で日向ぼっこをしながら、おじいさんが盆栽をいじっている。傍でおばあさんが老眼鏡をかけて、繕い物をしている。ーーー二人の会話。
垣根の向こうを通っている人を見ながら、
婆「じいさんや、じいさんや、垣根の向うをいくのは、甚兵衛さんじゃな
いかえ」
爺「どれどれ・・・。いや、違うよ、あれは甚兵衛さんだよ。」
婆「あれ、そうかい、わたしゃまた、甚兵衛さんかと思ったよ」。
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のどかな春の昼下がりの笑い話であるが、このような勘違いというか、とんちんかんな行き違いが、我々の日常生活の中や仕事の上でないとは言い切れまい。
我々の日常生活、人間関係の渦の中で、誤解とまではいかなくても、ちょっとした言葉の行き違いや勘違いから、つまらないトラブルを起こしていることがまゝあるものである。
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随分日が経ってから ”何だ、そうだったのか、それならそうとあの時はっきり言ってくれたら良かったのに・・・”という経験をお持ちの方も多かろう。
どうしたらよいか?。
それは、よくそのようなことがあるものだ。ということを反省した上で、”あなた”が考えて下さい。
過ぎたるは
「過ぎたるは及ばざるが如し」という。”過ぎた”のは足りないのと同じようなものだ、という意味だが、例えば、 ”利口過ぎる”人が、他人に何らかの意味で迷惑をかけているとすれば、”利口過ぎるのは、やはり 本当に ”利口”ではないからだろう。
世に、”真面目すぎる”という人がいるが、だとすれば、この ”真面目すぎる”のも我々の日常生活においては、「不真面目」なのと同じくらい迷惑なのかも知れない。
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英国のエドワード・ヒース首相の父ウイリアムス氏曰く「あの子の唯一の欠点は、”正直すぎる”ことです」。・・・大勢の中で人間関係を保ちながら生ると
いうことはむつかしいことですなあ。