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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

明けましておめでとうございます。
    早いもので、この片々草を書き始めてから四回目の正月を迎えます。
    ”三年経てば三つになる”といいますが、ずっと読み返してみても、自分
   にとっては、ひとつひとつに愛着のある思い出深い文ではありますが、”三  
   年経って三つになった ”程の進歩もないようです。
    まあ、それやこれやで去年も暮れましたが、今年もどうぞお付き合いの程
   よろしくお願い申しあげます。

           時   代           (40)
  
 田舎の親戚から餅が送られてきた。自家製の、手で丸めた例のモチである。この小包みを開いた子供が、思わず叫んだものである。 ”すごい、お母さん、これみんな「オカガミ」だよ”。

 生まれてこの方、米屋に頼んで配達してもらう四角いノシ餅しか見たことのない子供。生まれた時から、床の間のないアパートで育って、せめて曲がりなりにも、と、小さい丸い餅を買ってきて重ね、これがオカガミだと本箱の上に飾ったりしている家庭に育った子供にしてみれば、 ”全部オカガミーーー”と感激するのも無理からぬ話ではある。

 我々の子供の頃は、プロペラのない飛行機が空を飛ぶなんてことは考えられなかったし、テレビジョンというものも、理論的には考えられていて、空想科学小説なんかには登場していたが、こんなに一般化して家庭の茶の間にまで普及するものとは思ってもいなかった。今では幼児の頃からTVの操作を覚え、番組の時間から、チヤンネル、CMまで子供の方が詳しいという時代である。

 ・・・と、子供のことばかりも言ってはおれない。 ”月見れば 千々にものこそ悲しけれ わが身ひとつの・・・”なんて、短冊を前に筆の穂先をなめていた時代と今と、月そのものは変わっていないのだが、それを見る我々の感じ方は確かに変わっているのだろう。

 「人は、その育った ”時代” に影響されて、ものの見方、感じ方が違うのだ」。「それは、やむを得ないことなのだ」と、肯定した上で、,そこのところを出発点にして、若い人たちと接する事を考えなければならないと思う。

        服  装             
  
 いつか、例の墨染めの衣を着た坊さんがバイクに乗り、ヘルメットをかぶっているのをみて、異様な感じを受けたが、やはり神主さんが背広でノリトをあげてもサマにならないし、神父さんがハオリ・ハカマというわけにもいかず、土木作業員はやはりタオルで鉢巻しなければならないのだろう。

 TVのヤング何とかという歌謡ショーに出てくる男は、例外なしに髪の毛が長く、まるで髪が長くなければ声が出ないのか、と疑いたくなるほどである。ついでながら言わせて貰うなら、これらのヤング何とかが、揃いもそろって細い腰に薄い胸、髪を振り乱してうすぎたないのに比べて、一緒に出てくる女性の、何と、たくましく生き生きしていることか!。(ニッポンは、遠からずメツボーするのではなかろうか)。

 とにかく、服装・みだしなみ、というものは、それぞれの生活の場に応じて一定のルールというか、約束ごとみたいなものがある。同じサラリーマンにしても、ネクタイを締めている時とポロシャツを着ているときでは気持ちのありかたが違うのも確かである。
 腰の曲がった柔道家も稽古着を着ると曲がった腰がシャンとするという。人間、勝負は中身次第だが、やはり世間の則に従った、服装・みだしなみに気を遣うことも、相当に大事な事のようである。

((73・S・48・1)