育 て る (Ⅱ) (44)
われわれの回りに自転車に乗れない人、泳げない人、というのは意外にいるものである。それなのに乗れる人、泳げる人は、何故、子供のころ覚えた自転車に何年も経っていきなり乗れるのか、何十年も経っているのにいきなり泳ぐことが出来るのか。乗れない人、泳げない人から見れば大変な努力のいることなのにーーー。
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それはそれらのことを,、その時は教え貰ったにしろ、とにかく本人が自分の体に「体得した」(体で覚えた)ーーーいうなれば自分で自分の中に「育てた」ことだからではないか。
”畳の上の水練”というが、人から教えられただけの、形だけ、頭だけで判ったことは、育っていないから駄目なのである。
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子供が台所の手伝いをしていて、リンゴをむいたりしているのを見ていると、危なっかしくて見ておれない。つい、手を出したくなる。ーーーそこのところが大事なところ、卵をぐしゃりとつぶしてしまおうと、リンゴがジャガイモみたいになってしまおうと、そこのところをぐっと我慢して ”おや、きょうの卵はキミが丸いね”とか” ”おや、このジャガイモはりんごみたいに丸いね”とか何とか言って、失敗することの中から、子供の体の中にそれらのことが育っていくのを、我慢して見守る努力が必要なのではないだろうか。
煙 草
”煙草をやめるほど簡単なことはない。ーーーわたしは今までに百ぺんも止めた” と何とかいう偉い人が言ったそうだが、またぞろ煙草の害を箱に表示することの是非論が盛んである。
”あなたも煙草が止められる”という本が書店に並んでいるかと思うと、雑誌に ”私はこうして煙草をやめた”なんて有名人の記事が載っている。工場の煙突から出る煙が、人体に及ぼす害をを論じながら、煙草をくゆらしている学者があるかと思うと、”煙草のために寿命が縮まるのなら、それでも構わない。吸おうと吸うまいと、いずれ一度は死ぬ身じゃないか” とケツをまくうた格好の女流作家もある。
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煙草と言うものーーー、これはまったく不思議な嗜好品である。
勧められて ”いえ、私は煙草は吸いませんから”と、平然たる人がいるかと思うと、健康上の理由から医者に止められている煙草が止められなくて、四苦八苦している人もある。
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いずれにしても、煙草を吸っている人で、一度は止めようと思った経験のない人は、おそらく一人もいないだろう。しかし、何年も吸い続けてきた煙草を ”これで止めます”と宣言して本当にスッパリやめてしまった人よりも、何度も ”やめる” ”やめた”と宣言しながら、またいつとはなしに吸ってるような人の方が、人間的にはミリョクがありそうだな。
皆の前で”やめる”と宣言した人が、何日か経って、人の吸ってるタバコがうらやましくてたまらず、”タバコを吸うのか、じゃあ、俺が火をつけてやる”といいながら、思いっきり吸って火をつけてやっている姿なんか可愛いものではないか。
食堂車で
列車の食堂車。
一人でビールを飲みながら、”つれづれなるまま”に、五人のウエートレスの動きに興味をもった。
中に一人、姉さん格の人がいる。注文品をテーブルに届けての戻りがけにも回りに気を配り、ちょっと寄って空いたコップにビールを注ぎ足してくれる、お客の出入りには、すかさず ”いらっしゃいませ” ”ありがとうございました” ーーーと声をかけている。
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会社の研修会で、例えば「 ”部下には関心をもて” 命令・指示の型には ”いいつける” ”たのむ” ”つのる” ”ほのめかす”の四段階があり、”いいつける”ばかりでは部下は育たない。できれば ”ほのめかす”程度で部下が動くように、普段から心がけておくべきだ」と教わった。
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ところが驚いたことに、このウエートレスのお姉さんが、ちゃんとこれを実践しているのである。
”いらっしゃいませ”の率先垂範もさることながら、、若い子に ”今度のヘアスタイルいゝわね”と手の空いた時間にはちゃんと”関心”を示し、車内が冷えすぎるなと思っていたら、すかさず”今日はちょっとクーラーが効きすぎてるみたいね”と ”ほのめかす”ことによって若い子を動かしている。
五人の小さなグループ。これを気持ちよく動かすリーダーシップ。食堂車のウエートレスに、いろいろ教えられた一時間であった。