終戦記念日 (47)
八月十五日は、終戦記念日である。本来ならば敗戦ーーーと書くべきところなのだが、そこがそれ、実際に昭和二十年のその日を体験したもののウエットなところ、お許し願いたい。
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話は少し古くなるが、TVのインタビューでアナウンサーが、戦争中の標語「婦女子の貞節、是 銃後の鉄壁」という色紙を見せて、通りがかりのアベックにどういう意味か尋ねていた。
「ウーンそうね ”銃後?”・・・銃って拳銃のことでしょう。拳銃の後ろに何かあるってことかしら・・・?」。数人の人に尋ねたが判る人皆無。終戦の詔勅”耐へがたきを耐へ、忍びがたきを忍び・・・”、に至っては、「何か昔の字で書いてあるわね」程度で、てんで判ろうともしない。
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考えてみれば無理もないことかもしれないが、、しかし、昭和二十年八月十五日を境にして、百八十度の転換をした日本に、その後生を享けた人達がまもなく三十歳になろうという時代である。ーーーその、時代を背負っている人達の認識が、徐々に確実に変わりつゝあることを意識してかからなければならない。
観 点
子供が小さかった頃、何かに載っていた日本地図をみて叫んだものである。”あっ、テンキヨホーが載っている”。
彼にとって日本の地図は、生まれてこのかたTVの天気予報でしか見たことがなかったのだから、日本の地図はまさしく ”天気予報”そのものだったのである。
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しかし、この子供のことばかりを笑ってはおれない。我々は子供の頃から、世界地図といえば、日本が地図の真ん中のやゝ上の方に ”ノ”の字型にあるーーー言うなれば、日本を中心にした地図しか見てきていない。日本を中心にした格好の地図である。
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ところが、、それは日本の地図であって、、当然のこととは言え、西欧を中心にした地図を見ると全く感じが違うのである。日本なんて、右の上の端っこの方に、有るのか無いのかーーーちょうど日本の地図で我々がふだん南方の島々を見るような感じでしかないのである。
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しかし、我々は、世界の中の日本を考えるとき、どうしても子供の時からの感覚で、日本中心の地図を頭の中に描いてしまう。そして、その地図をもとにして、日本と外国のことを考えようとする。ーーーということは、日本を中心にした考え方、ということではないか。
しかし、このことを裏返して考えればーーー例えば英国人が日本のことを考える時は、当然英国を中心にした地図で判断するに違いない。
物事は客観的に見なければいけないと言うけれども、確かにいつも見慣れた方向・観点からだけではなく、裏側から、ーーー反対の立場の心になって見る習慣をつけることも大切なことのようである。
息子・亭主
中学生の息子が、友人と連れ立ってキャンプに行ったという。普段は何やかやに取り紛れて,それ程べったり付き合っている息子ではないが、さて、夕食のとき,女房と下の子と三人で食事をしながら、何かポッカリ穴があいたような気がする。
息子が夕食時、クラブか何かの都合で帰りが遅くなり、食事の時間に居合わせないことは、しょっちゅうあるのに、 ”今晩は、帰ってこないんだ”というだけで、何か感じが違うのである。
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週に何回かしか夕食を共にしない自分でさえそう感じるのだから、女房はなおさらだろうと思って聞いてみると、確かにその通りだという。何か大きなものが一つ減ったようで、ほっとするという。ーーーだとすると、、俺が出張で何日か帰らないということになると、もっとほっとするのだな?。
やはり ”亭主達者で、留守がよい・・・”ということか。
(73・S・48・8)