粗 密 (50)
九州で生まれ、九州で育って十八年。以後は現在まで学校や仕事の関係で、東京、山口県・京浜地区・北海道・北陸と数年ごとに転々としている。そんな中で、自分自身は標準語をしゃべっているつもりなのだが、時に、 ”あなたは九州でしょう”とズバリ指摘されてびっくりすることがある。
逆に、一杯やって首を突っ込んだ屋台のオヤジと話しをしながら ”オヤジさん、九州だろう”と言い当ててびっくりされたりする。
いくら、まともな単語でしゃべっているつもりでも”ナマリ”に育った土地がひょいひょいとのぞかれるのである。
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これと同じようなものに県民性というものがある。
例えば、同じ日本海側でも、秋田と柏崎では明らかに県民性が違うし、北陸三県ーーー福井・石川・富山でもそれぞれに異なる。どこからどうと線を引いて分けられるものではないが、最大公約数的になんとなく大まかには分類できるのである。九州と北陸でも異なるし、同じ九州の中でも長崎と鹿児島ではまた異なる。
しかし、これらを統合して大きくみると、日本人は日本人としての国民性というものになるのだろう。
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そこで、長崎の人間を見て ”日本人はーーー”と、まとめて判断されても困るし、かといって、大きく分ければひとつの国民性の範囲にはいる日本人も、小さく見れば、育ったところによって言葉のナマリも違えば県民性も違う。
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われわれが人を見、物事を判断するときに注意しなければならないのは、「まず粗をみて、密をみ、そしてまた粗をみる」という、いうなれば、マクロとミクロをつないで判断するくせをつけることが必要なようである。
グ ロ ー ブ
もと日石カルテックス野球部のI・Y君と久しぶりに会い一献傾けながら旧交を温めた。いろんな話から ”近頃の若い人”の話に及んだ。その会話ーーー。
「私たちが会社に入って入部したときは、学生時代はともかく、会社では新入社員。実は与えられるグローブに赤ラベル、黒ラベル、舶来品とあってそれぞれに値段が違うんです。もちろん舶来品が欲しいわけですが、そんなこと、おくびにも出せないものでした。ところが、最近は、学生時代からその舶来品を使っているんですからねえ。」
「そういえば、俺も新入社員の頃はタバコは“しんせい”を吸っていた。先輩がピースやひかりを吸っていても、俺は新入社員だ、新入社員だから給料が安い、安いからしんせいを吸うーーーということが、これは当然のことで、別にうらやましいとか、口惜しいとかいう気持ちは全くなかったなあ」。
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昔「貧乏人は麦を食え」といって失脚した大臣がいたけれど、そこまでは言わなくても、昔は、何によって決められていたわけではないが、、子供だから・・・若いから・・・女だから・・・といった、それぞれの立場に応じた ”分”というか ”けじめ”が何となく定まっていた。そしてそれぞれの立場に応じてケンキョに生きていたものだけど、各々自分の 「分」を心得た生活態度というものは、時代とともに、もう流されてしまったのだろうか。
う ち わ
今年の夏、デパートのお中元に団扇を貰った。ぼたんの花を一輪大きくあしらった何の変哲もないうちわであるが、その柄、紙質、絵柄が何とも言えず ”うちわ”の機能にぴったりマッチしていて、何かずっと忘れていたものをあらためて思い出させられた感じがした。
ああ、そうだ、日本にはこんなものがあったんだ。・・・何か出てくる風の質までが柔らかく、涼しく心なごむ思いがする。
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昔は毎年決まって扇子をお中元にくれた本屋があった。今年はどんな図柄かなと、帯封を切るのが楽しみだった。いまではどこも冷房・扇風機でそんなおっとりした情緒は薄れてしまってーーいずれ扇子などというものは、落語家の小道具としてしか残らない時代がやってくるのだろうか。