叱 る (56)
何かの拍子にで子供がコップを割ったら我々は叱るだろう。だけど、例えば子供が玄関のガラス戸に体ごとぶっつけて、その大きなガラスを割ったとき、我々は叱るより先に,まず、その子に怪我がなかったことを喜び、もし怪我でもしていれば、それこそ叱るどころの話ではないだろう。
子供がふざけて椅子の脚を折ったら叱られるが、そのとき自分の足を折ったらどうだろう。
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五時に帰ってくる約束の子供が六時頃帰ってきたら ”どこで、何をしていた”と叱る母親も、その子が八時になっても帰ってこなかったらオロオロと心配し、やっと帰ってきた子供をみて ”ああ無事でよく帰ってきた”と抱きかゝえんばかりにするだろう。
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しかしコップを割るより、玄関のガラスを割る方がーーー、五時に帰ってこないより、八時に帰ってくる方が、よほど親にとっては損害も心配も大きな筈ではないか。
”理性と感情”、”感情と愛情!”子供の叱り方ひとつにしても、冷静に考えてみる余地がありそうである。
ほ め る
すし屋で、トロを厚く切らせたかったたら ”ほめろ”という。 ”お宅のトロは随分厚いね”と目の前でほめられたら、イタさん前よりも薄く切るわけにいかなくなる。切るたびにだんだんトロが厚くなっていく、というのである。
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昔から子供を育てるのに ”可愛くば、五つ教えて、三つほめ、二つ叱りて,よい子にせよ”というが、褒めるということ、叱るということ、対人関係で一番重要な ”教える・ほめる・叱る”・・・を五対三対二としたところが,簡にして要を得ていると思うが如何?。
タクシー二題
終電もなくなった深夜のこと、手を上げたら珍しく止まったタクシーの運転手。目的地を聞いて、考えることしばし、やがて決心した風で「いゝや、乗せてやらー」・・・。
相手は、客を求めて深夜まで流しているタクシーである。こちらは金を払う客じゃないか。 ”冗談じゃあない”と乗車拒否した次第ーーー。
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近頃、一般に運転手が客を断るのをさして ”乗車拒否”と云っているが、本来、商売としてサービスこれ努めて客を求めているタクシーに ”俺は、金を払う客だ。こんな汚い車には乗ってやらない” ”お前さんみたいに柄の悪い運ちゃんではイヤだ”と、乗ってやるのを拒否するのを乗車拒否というのじゃないだろうか。
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これは、昼間の話。駅で順番に待って乗ったタクシーの運転手、珍しく目的地を聞くなり ”へい”と走り出したまではよかったが、これはまた昨晩高速道路で事故渋滞にあって苦労した話から始まって、石油危機から果てはヤマニさん、通産省の話と止まるところを知らず・・・。とにかく、こちらが、 ”そうかね”とか ”なるほど”とか面倒くさげに相槌をうつのが精一杯。よく新聞の投書にでる ”目的地を聞くなり返事もしないで・・云々”の運転手がうらやましくなった次第。
過ぎたるは及ばざるが如し。
サービス
待ち合わせの時間に大分時間があるので、レストランで例によってビールを注文したら、ビールと一緒に氷の入った水を持ってきた。いったい、ビールを飲む前に氷水を飲む客があるのだろうか。ビールを飲んでから氷水を飲む客があるのだろうか。
心の通わない、画一的な仏頂面のサービス・・・。
(74・S・49・5)