都市対抗野球(Ⅰ) (60)
(見 聞 記)
都市対抗野球第一戦、対新日鉄八幡。
八幡の荻野と日石根元の両エースの好投で続いた0対0の均衡が,魔の六回・・・一挙に六点取られ・・・九回裏、日石の攻撃ツウアウト。走者をニ・三塁において打者五番秋元、相手投手荻野からの一打は弧を描いてレフトへ・・・すわホームランと応援団総立ちの中で、レフトフェンスぎりぎりながら左翼手の真正面。応援団の「たのむ一点でいいから取ってくれ、でなけりゃ俺は帰れないんだ」の悲痛な叫びも、どよめきの中に呑みこまれて万事休す。・・・今年の都市対抗戦は終った。
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試合の内容については、素人の土筆生が云々しても始まらない。ただこの都市対抗で見聞した片々を、つらいけれども記録しておくことも、このコラムの努めであろうか。
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新 聞)
7/26、毎日新聞・横浜版。
「日石無念の涙。ーーー頼みの打線不発にーーー。実力、キャリヤともにナンバーワンといわれた日石も、頼みの打線が最後まで火をふかず、初戦で敗退するという意外な結末だった」。
(応援リーダー)
(七回表)六回裏に六点取られーーー「試合は意外な進行になっていますが、野球はまだまだこれからです。さあ、元気に参りましょう。オウエンカア・・・。
(八回表)ーーーまだまだ、二回あります。二回あれば十分です。大きな声でエ・・。
(九回表)とうとう来るところまで来ました。最後の声を振り絞って参りましょう・・・)
(試合を終わって)試合の結果は、スコアボードに出ている通りです。何も申し上げることはございません。来年の活躍を期して解散いたします。最後までご声援ありがとうございました。
(出張応援団)
地方からの出張応援団は、今日のナイター開始に合わせて球場へ現地集合。全国の事業所から続々と上京してきた。この日ナイター終了後、宿舎南元クラブに勢ぞろいしたところで、応援団・結団の会が持たれることになっていたが、結団式はそのまゝ「残念慰労会」に変更された。
その席上西潟勤労部副部長の挨拶。ーーー「勝敗について、とやかく申し上げることはございません。皆さんがご覧になったとおりです。私はこの席を借りて、今日の試合を通じて感じたことを二つ申し上げたい。
ひとつは、皆さんが一糸乱れず最後までおそらく、日石の応援団席の中で特筆に値する立派な声援を送って下さったことに感謝の言葉を送りたい」。
「二つめは、 ”波に乗る”ということです。試合前の下馬評では,総合戦力において日石は押しも押されもせぬA級、新日鉄はB級ということでした。それが一寸したきっかけで、片方は波に乗り片方は波に乗りきれなかった。波に乗った方はますます勢いの乗る、このことは皆さんが今日目のあたりにされた通りです。ことは野球だけではありません。
今ここに居られる方は、地方のそれぞれの事業所で、中心的役割りを担っておれる方ばかりです。仕事においても、この ”波に乗る” ”乗らない”ということによって結果が大きく異なってきます。沈滞した職場には事故の影がつきまとうのです。
そこで考えて頂きたい。波に乗るか乗らないかではありません。職場の中枢的役割を担う皆さんが,如何にして職場の雰囲気を目的の波に乗せるかということを、常に考えて頂きたいということであります」。
(南元クラブ)
ナイターの終わったのが午後九時半。地方応援団の人達が宿舎南元クラブに勢ぞろいしたのは十時過ぎ、応援団の慰労会が始まったのは十時半頃であったろうか。地方から勝利を期して集まった出張者は、明後日にはそれぞれ故郷に帰らなければならない、そのお客のために南元クラブの方達の時間を気にしない献身的なサービス。
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宴会終了後も、久しぶりに会った夫々の出張者仲間の話がはずみ、分かれ難い輪ができる。これらの夫々の注文にも快く応じて、後片付けまで入れると仕事は朝方にまで及んだ筈である。翌日は、中研・根岸製油所見学のため、朝は七時半からの朝食にも拘わらず、時間のことなど抜きにして、いつまた上京のチャンスがあるか判らない人たちのために明るく心のこもったサービスをして下さった。南元クラブの人たちにとっては、仕事とはいえ、こんなに遅いことは例外としても、普段の出張者のために夜の仕事は毎晩である、そんな事情が判るだけに,この夜の接遇に日石の隠れた チームワークをつくづく感じ入った次第。南元クラブさん有難う。