損 得 (66)
西堀栄三郎さんから、こんな話を聞いた。一人でしまっておくのは勿体ないので思い出しながら書かして頂く。
西堀さんといえば,南極大陸越冬隊の隊長として著名な人であるが、その後ヒマラヤ・ヤルンカン登山の隊長としても勇名を馳せた人である。そのとき氏は七十歳だったという。
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「食料にするために羊を一緒に連れて行く。目的地のキャンプに着いたときには、長旅で羊達も骨と皮ばかりになっている。入れ歯ではそのカタイ部分は、それこそ歯がたゝない。柔らかいところといえば腸と肝臓だけ、そればかりを来る日も来る日も食べさせられるんです」。
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「キャンプ地の横に、見上げるような滝があって、四六時中轟々たる音とともに天から水が落ちてくる。”音の公害なんてものじゃありませんでした”」・・・と西堀さんは笑ったが、そういう生活を三ヶ月間送ったという。 そして、そういう悪条件下での生活が何故出来たのか?。
「ーーー自ら望んで ”やっとること”と思えばこそですよ、あれを ”やらされとる”と思ったら、一日も生活できなかったでしょうね」。
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「現地で高い山に登るのに馴れているシェルパを数人雇いました。ところが、そのシェルパが最初に高山病にかかってしまったんです。そのシェルパを救うのに、勿体なかったけど隊員のために持っていった酸素をふんだんに吸わせながら元のところへ戻すのに、隊員がかゝりきりになって丸二日の日程を損したんです」。
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「ところが、何が損で何が得になるか判らないものですねえ。そのシェルパの扱いを見ていた他の大勢のシェルパの動きがその後目を見張るほど違ってきた。要するに、日本隊員のシェルパに対する態度に感激したんですな。自分達仲間の病人を隊員なみに扱って、貴重な酸素を惜しげもなく使い、全員が丸二日間もかゝりっきりになって助けてくれたーーー。そのことで、シェルパが、単にお金で雇われたという立場でなく隊員と同じ目的を持った、つまり一体感が生まれたんですね。そうなった後の能率の向上というものは、これは二日やそこらの損には代えられないものでしたよ」。
緊 張
地面に幅二〇センチで二本の線を引き、その上をはずさないように歩け、といわれたら、我々はいともたやすく歩きぬけることができる。
ところが、同じ幅の板が十メートルの高さにあったらどうか?。地面では歩けたものが、何故十メートルになったら歩けないのか?。・・・”もしはずしたら”という恐怖心で体が固くなるからだろう。
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皿洗いをして、いつもの気持で楽に拭いていれば何でもないものが、高価なお皿を、もしも落しでもしたら・・・と緊張して拭くとかえって肩に力が入り指の動きがぎこちなくなって、思わぬ結果を招いたりする。かといって、高価なものを扱うのにいゝ加減にナメてかゝるわけにもいかぬ。そこのところの兼ね合いが難しい。
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例えば結核にかかった時、ショックを受けてそのことばかりをくよくよ思い悩んでいたのでは、治る病気もなおらなくなる。しかし、病巣があるのは確かなのだから、なめてはいけない。そこのところの兼ね合いが難しいのである。
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精神的なもの、心理的なものゝ、我々の日常生活の中に占める割合と言うものは意外と大きいものである。世は禅ブームというけれども、体力・健康・日々の勉強もさることながら、達観すると言うか・悟るというか、少々のことには動じない、「精神面の修養」ということも考えてみる必要があるな。
伝 言
ホテルに泊まってる友人に用事があって電話した。
あいにく相手は外出していて不在だとのこと。
(私)、”では、帰られたら、伝言を頼みたいのですが”。
(交)、”メッセージですか”。
(私)、”ええ、伝言をお願いしたいのです”。
(交)、”メッセージですね”。
(私)、”ええ、伝言を頼みたいのです”。
(交)”メッセージですね。ではフロントにお繋ぎします”
(フ)”はい、フロントです。メッセージを承ります。”
(何故ホテルでは、伝言がメッセージでなければいけないのだろうか?)
(75・S・50・3・43歳)