ぼやき (69)
どこにも「ボヤキの00」と言われる人がいる。自分の意に反して思うように遇されない人に多い。この ”ぼやき”というものは土砂崩れのようなもので、一度ぼやき出すととめどもなくなるし、聞かされる方だって、適当に相槌は打ってはいるものの、あまり気分のいゝものではない。
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ある人がこのボヤキの00さんを称して、「あの人はストラデバリューのような名器だけど、残念なことに弦が高音一本きりしかない。いくら名器でも中音あり低音ありで、時々に弾き分け、時にはミックスして音を出すからいゝんで、いつも高音ばっかりじゃー」といわれたが、なるほどピタリいい得て妙だと感心したことがある。
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自分では高音(次元の高い聞くに価する話)で高音なればこそと思っているのだが、高音一本では聞かされる方はたまったものではない。そこで、聞く方に疎まれるようになる。すると今度はストラデバリューが愚痴を奏でることになるのだがーーー、これが度重なると、”ボヤキの00”と人から敬遠されることになり、本人はますますぼやくことになっていくのだが・・・。
借 り る
Tさんに聞いた話。
東京・大阪・名古屋の財界人がレストランで食事を共にした。その時三人はそれぞれ胸の中で、食べ終わった後のことを次のように考えていた。
(東京)・”さて、失礼のないように勘定を払うにはどうしたらよいだろう
か?”。
(大阪)・”食事は同じだけど、飲み物はわしはコーラ、二人はビール。わ
てはメシ代とコーラ代を払えばええな”。
(名古屋)”どちらが勘定を払うのか知らんが、何といってお礼を言おうか?”。
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話は変わるが、よく中年の女性が、レストランのレジの前でレシートを取り合って ”あたくしが(お払いします)”。 ”いえ、あたくしが・・・”とやっている光景を目にするが、どうもあんまり、みっともいゝ?図ではない。ところが、そういう我々もタクシーに数人で乗り合わせたときなど、たまたまこのようなことをやり合っていないだろうか。
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あなたは、何かをして貰って礼を言うとき ”すみません”というか、”有難う”というかーー。
”すみません”と礼を言う人の心の中には、本当はそれくらいのことは自分でも出来るのだが・・・という心情があるといえないだろうか。やはり、人から何かの協力を得たのなら、そこは素直に「有難う」と云えないものか。・・・”有難う”という言葉の裏には”そのご恩を借りておきます”という心情が含まれている。
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先ほどのタクシーの例でも、そこは一番”そうですか、それではお言葉に甘えて・・・”と、謙虚に”有難う”と恩を借りておくことはできないものか。
むしろ具体的に、その場できっちり割り切ってすませることは簡単なことではあるけれど、すんなりこの場の ”恩を借りる“ことが出来るようになれば、その方が親しい人間関係の中では、高等な芸?だと思うが如何なものか。
目 的・想 い
やゝ、びろうな話で恐れ入るが、これはれっきとした医者から聞いた話だからお許し願いたい。
”便秘は、圧倒的に女性に多い”のだそうである。・・・何故か?。
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後は土筆生の勝手な推測・・・。
これは、目的意識によるものではないか。男性は、昔から大と小とを別々のところで行う。だから男は、大のときは大の目的で”そのために”座る。ところが、これは憶測だが、ひょっとすると女性はそうではないのではあるまいか。 ”ついでに・・・” あるいは ”いつにても・・・”という気楽な気持ちから、男のように ”大のために・・”という目的意識がなく、駄目でも次のチャンスに安易な期待をかける。これらの永い間のいきがかりが、習い性となって、女性に便秘が多くなったのではないかしらん。
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キリンの首はなぜ長い?。キリンも人間も、頚骨の数は同じなのだそうである。なのにキリンの首は何故長いのか。 ”あの高い木の上の柔らかい新芽を食べたい!”という長い間の想いがあのように首を長くしたのではないか。
(75・S・50・6)