インタビュー (71)
宿直で無聊なままにTVのスイッチを入れたら、いきなりHさん(四十一歳)という早書きで有名な作家と、何とか云う女優(三十一歳)の結婚発表の記者会見が映し出された。
どちらも再婚。しかも女優のほうは前にも電撃?離婚で名を売った人だと言う。そのインタビューの間、旧郎は全く一言もなし、旧婦はシナを作り、終始カメラを意識してうつむいたり、笑顔を作ったり、言葉をつまらせてみたり・・・で、しゃべっていることの要旨は「自分はセンセを尊敬していたけれども、まさか結婚の対象としては考えてもみなかった・・」。「それを、センセと自分の仲間が一計を企んで、二人をくっつける段取りをしてくれた、」・・・云々。その間 、旧婦の口から何回 ”センセ”という言葉が出たことか。そして、このつまらない話をたくさんの記者が取り囲んでカメラのフラッシュのすざましいことーー。
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翌朝、宿直の夜間も”異常なし”で、さて今の正確な時間はーーーとTVのスイッチを入れたら「農村」(AM6・30)という番組の途中だった。おばあさんが一人農家の縁側に腰掛けてインタビューを受けている。相当な年の農婦なのだが、話を聞いているうちにだんだんその話に引き込まれていった。「こりゃあ並みのおばあさんさんじゃないな」と思っていたら、何とこの人が、文芸春秋(ノンフイクション)で大宅壮一賞を受けた吉岡せいさん(七十六歳)その人だった。
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何のてらいもなく、淡々と実にしっかり質問に答える。昨晩のあのミーチャンハーチャンとでは月とスッポン・提灯と釣鐘。
第一インタビューを受けるのに、普通なら座敷に通してやゝ格式ばって、というところだろうが、普段着で農家の縁側にちょこんと腰掛けてーーーというのが,何ともさわやかでいゝ、見ていて聞いていて、その一言一言に年輪の重さというものをいやというほど思い知らされた。
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吉岡せいさんの年輪については、賞を受けた「洟をたらした神」にゆずるとして、そのインタビューの中から一おぼろげながら一節。
「主人と死に別れ、今になって頑固一徹だった主人と言い争ったことが思い出される。 ”いくら、土が大事だといっても、それを耕すのは人間じゃありませんか”と云ったら、主人は ”いくら耕しても、土にものを育てる力がなければ・・・、人間は土の持っている力を、ただ借りるだけなのだ。人間は土に協力しているだけなのだ・・・。思い上がってはいけない・・・”といって聞きませんでした。そして今頃になってその主人の偉さが判るようになりました。」
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最後に、この吉岡せいさんの人柄を偲ばせる受賞の言葉をご紹介しておこう。(文芸春秋四月号から)
「私が大宅賞受賞!これは全くずりおちてくる雪崩の前に直面したような目眩めく恐れで全身が震えました。嬉しいとか喜びとかを感じる前に、ただ畏怖だけですくみあがりました。あまりに大きく、老いぼれにはつぶれるような重みを感じたからでございます。(略)しかし、心が落ち着いてくるにつれ、じんじんと喜びが湧いてまいりました。暗い底辺の永い生涯の終わりに、こんな光明が灯されていたのかと思うと心が熱くなります。今は赤ん坊のように嬉々と素直に両手を上げて、くだらぬためらいはさらりと捨て、もぐら同然の無様に大きな掌に押し頂きましょう」。
通 勤
毎朝バス停で決まった時間にバスを待つ。向こうの歩道を、毎朝きまった人々が駅の方向へ急ぐ・・・。別に声をかけ合うわけではないが、毎日同じ時間に同じ人たちを見かけていると、そのうち知り合いのように見えてくるから不思議である。
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それらの中に、横丁の路地から現れる共稼ぎの新婚夫婦らしき二組がある。仲むつまじく駅へ急ぐのはいゝのだが、これらが二組とも、毎朝手をつないで歩くのはどういう神経なのだろうか。
恋愛時代、たまの休日のデートならまあ判らんでもないが、何故同じ屋根の下に生活している夫婦が毎朝オテゝつないで出勤しなければならないのか。ーーー多分つないでいるのは女のほうで、つながれている方が男だと思いたいのだが、それにしてもその男のセイシンが判らない。
そんな男を見ていると、会社の机に座るなりボワワワワと大きなあくびをしている顔が見えるような気がしてくる。
(75・S・50・8)