都市対抗野球(Ⅱ) (72)
都市対抗野球・連続十一回・二十一回目の後楽園出場。六度目の優勝を目指して日石グループが燃えた。今年の ”真夏の球宴“の片々ーーー。
(粘 り)
昨年は優勝候補の呼び声が高く、チームも近来になく仕上がっているという前評判だったのに、一回戦で新日鉄八幡に敗れた。・・・が、今年の日石チームはひと味違っていた。何が?、一言で言えば食らいつくしぶとさ、ネバリである。
結果は、準準決勝、大昭和戦に悲運のホームランで負けた。負ければ悔いは残る。しかし今年は一〜三回戦を通じてどの試合にも必死のファイトから滲み出るドラマがあった。
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第一戦。対、新日鉄・名古屋。七回・・・磯部の2ランホームラン。4~1と引き離した9回裏、ランナーを置いて逆に2ランを打ち込まれて4ー3。ノーアウト2塁のピンチから3人を仕とめたリリーフ大橋の健投。
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第二戦。対、本田技研。・・・3対3で迎えた9回裏・・・。1死満塁。「マナイタに載ったコイの心境だった」と枝松監督。その場面で、あわやサヨナラを救った川田の快投。もつれ込んで延長十二回、5番・新人小橋の決勝3塁打・・・。
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第三戦。対、大昭和。・・・2対1とリードされて迎えた9回表。2アウト・ランナーなし。打者、伊藤、・・・打った。左中間観覧席深く突き刺さる同点ホームラン。日石応援団総立ちの歓声の中、伊藤がバンザイしながら2塁を回る。一瞬、歓声が聞こえなくなり目頭がジーンと熱くなる。
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勿論、欲を言えば ”優勝”であるが、補強なしの純血チーム、しかも、全試合を通じて1個の盗塁も許さずノーエラー。よく戦ったというべきだろう。
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(応援出張者)
地方からの応援出張者四十名。いままでの勤務の関係で馴染みの方が多い。第2戦では宿舎に着くのを待ちきれず、室蘭勢と後楽園のビアホールで祝杯。後ろの席で本田技研の連中が無念のビールをあおっていた。口惜しかったろう。大分出来上がったリーダー格の曰く「仕方がないよなあ。本田の車は日石のガソリンで走るんだもんな。今日は負けたけど本田の分も頑張って優勝してくれよ。オイ(仲間を振りかえって)皆でやろうや。フレーフレー!、ニッセキー!」
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第三戦のあと、今宵で出張者ともお別れと、南元クラブの解散会に出席させて貰った。
下松勢。”ワシラはのう、皆で鎌倉の八幡さんに願かけに行ったんでよ。あそこは武運長久の神さんていうじゃろうが” ”あの、磯部の3塁打はありゃフェアじゃったでよ、白い粉がパアと上がったもんのう” ”しょうがあるかのう。ほんでもまあ、まあだ負けたと言う気がせんとみんさい”。・・・
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解散会での西潟副部長の挨拶。
「今日までの試合で、皆さんがその目でご覧になった選手・応援団、云ってみれば日石グループの団結というものーーー最後まで勝負を捨てない、ふんばりというものををそれぞれの目に胸に焼きつけられたことと思います。皆さんはそれぞれあの職場でリーダーシップを発揮されるべき立場の方々です。どうか、この試合を通じて得られたものを職場に持ち帰って役立てゝ頂きたい・・・」。
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(応援リーダー)
都市対抗を語るのに、応援リーダーのことを忘れてはならない。後楽園おなじみの看板になった日石チーム応援リーダー十八人。今年はそのうち十五人が今春入社の新人である。
等々力の練習、赤倉の合宿・・・。練習は手の振り方から始まるのではない。まず体力作り、真夏のしかもスリ鉢の底みたいなところでセーターを着込んでの応援ーーー。練習は炎天下のランニングから始まる。声はノドから出すのではない、腹筋も鍛えなければならない。自分の腕がどんなに重いものであるか・・・。
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これらの苦しい練習に、グチひとつこぼさず、優勝を目指す日石チームの力になりたい。・・・ただそれだけの願いで若さと情熱をひたむきに捧げるリーダー達。そしてそれらの練習に耐え抜いて、団長の指一本で一糸乱れぬ動きのとれるリーダー達のさわやかさーーー。
(75・S・50・9)