合理化・機械・人間 (75)
最近はバスもすっかりワンマンが定着して車掌が乗ったバスは見かけなくなった。ワンマン方式が採り入れられた当初は、運転手がマイクのついた針金の輪っかを首にかけて ”次はーーー”なんてダミ声でやっていたが、近頃はテープではあるが、ちゃんと女性の奇麗な声でアナウンスが流れるようになった。別に不便も感じないし、ドアの開閉も機械がいやみなく人間に代替された。これで一人前の人件費が浮くのなら,仏頂面したバスガールがヨロケながら車内をうろつくよりはどれだけ救われるか知れない。
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ただ、このようにいろんな分野で機械化・合理化・省力化が急速に進んでいく中で、それらの合間で、人間の心の果たす役割だけは忘れて欲しくない。むしろーーーなればこそ、その希少な人間の、人間しか果たせない心のサービスを忘れないで欲しいと思う。
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横浜駅から羽田空港行きの高速バス。
「バスに乗るのに小銭がなけりゃー」・・・。”お釣りがない”と、子供連れの奥さんが運転手に言われている。「でも、飛行機の出発時間に合わせているので、どうしてもこのバスで行かなければ・・・」。しばらく押し問答の末困り果てたその奥さん「それじゃあ回数券を下さい」と、とうとう回数券を買わされてしまった。
そのバスは横浜駅始発で、バス停には ”なるべく、小銭をご用意ください”と書いてある。”なるべく”なら判る。しかし小銭のないお客様のために、ある程度のつり銭を最初から用意しておくのはバス会社の務めではないのか。
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国鉄の駅で、自動券売機に入れる百円玉がなかったので、窓口に行って”000まで”と五百円札を渡したら。無言で百円玉を五コ付き返し、椅子ごとくるりと向こうを向いてしまう駅員。
始めて行った市役所で、それでも気兼ねして、案内板と矢印をたよりに辿りついた窓口の女の子が、機械の一部になってしまっていた。用件を言ったらたら(多分同じことを聞く人が多いのだろう)①ー②ー③・・・と、番号ごとに注釈を書いたでかい定期いれみたいなものを無言で差し出して、あごをしゃくった。
・・・いま、省力化のために機械化・合理化が一番進んでいるのは多分銀行だろうが、その銀行でこんな目にあった人がいるだろうか。要はそのコトに対する心の問題ではないか。
名 前
ほろ酔いの帰途、寝静まった夜道を一人コツコツと自分の足音を聞きながら歩く。
満天の星空を仰ぎながら ”ああ俺は一人だなあ”としみじみ思うことがある。誰だったか自分の子供に ”一機”という名前をつけた人がいたのをふと思い出す。いい名前だなと思う。
大きな巨きな果てしない大空を ”ワレタダ一人” 航跡を残しながら一直線に進んでいく感じが何ともいえずいゝ。
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大宅壮一さんの息子さんの名前は確か「歩」。多分「あゆむ」と読むのだろうが、一歩一歩確実に前進する感じと、将棋で言うならわが子に金や銀でなく「歩」・・・金に成れば玉もツめる歩とつけたところに、親の子にかける心意気が伺える。
山彦という名の友人が、息子に自分の名前から一字とってつけた名前が「星彦」。・・・これも底抜けにロマンがあっていい名前だなあ。
ヒ ゲ
最近ヒゲをたくわえた人をよく見かける。しかし、例外なしにこれは・・・と思うほど似合った人に会ったことがない。日本人にはヒゲは似合わないのだろうか。
古く遡ってみても、明治天皇、乃木希介、夏目漱石というのは、やや威厳を意識しすぎた感じだし、五味康祐、山本直純、舛田幸三あたりは、少し不潔な感じ、”ヒゲのないキッスは、コショーのないスープみたい” という、なだ いなださんのヒゲももうひとつぴったりこない。
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そこへいくと、あのウイーンフィルの面々のあのヒゲは何故あんなに似合うのだろう。どの面を見てもほんとうにヒゲそのものが顔の一部になっている。
まあ、知る限りの日本人でこれに匹敵するのは、東郷平八郎ただ一人だな。
(75・S・50・12)