香 港 (Ⅱ) (78)
(マージャン)
高台の涼しくて見晴らしのいゝ場所に、別荘が競い合うように点在している。山の上にプールつきなんていうのも珍しくない。大体こういう別荘を持てるのは三シで、医師・弁護士・建築士だという。
今は法律で禁止されたが、昔は金さえあればおおっぴらに二号さんを持てた。ある成金氏が三人の妾を持っていたがこれが夫々に遊び回って困る。そこで一人増やして四人にしてマージャンを教えたら出歩かなくなった・・・と見てきたようなガイドの話。
沙田というところ、何とか楼というレストランが、厳島神社のように海に突き出て豪快に立っている。昼間なのにどの卓もマージャン。大きなゲタパイをジャラジャラとかき混ぜている。女が多い。近くに公園みたいな広場があって、子供達が自転車を借りて無邪気に遊んでいる。遊ばしといてその母親達がチー・ポンとやっているのだと言う。ことほど左様にマージャンが盛んだと聞いたが、風速は何米か聞き漏らした。
(中華料理)
雑多な人間が、雑多に住んでいる。料理も雑多だが、やはり中華料理の店が多い。香港で一日に消費する牛が五百頭、豚が五千匹というがやゝ三千丈くさい。
中華料理の珍品 「猿のノーミソ。テーブルの真ん中に穴があり、そこの袋の中に生きたサルを入れ、あたまのテッペンだけ出して吊るす。そのテッペンを割ってノーミソにシオ・コショウをふってこれをつゝく」。・・・「サンチュウ料理ーーー、生まれたてのハツカネズミを何日とかハチミツだけで育てる。これを生きたまゝ食べるのだが、予約に合わせてハチミツ製ハツカ鼠を製造する。目も開いていないネズミが、皿の上をごそごそ這いながらチュー。箸でつまみ上げられてチュー。飲み込まれるときにチュー。・・・だから三チュー料理とは出来すぎ。栄養満点の上、まだ生きているネズミが胃の中で動く、これが消化を助けるという」。
とにかくサル・ヘビ・イヌ・ネズミ・ブタ・・・何でも食べる。中国人が四つ足で食べないのはテーブルと椅子だけだと中国人のガイドが笑った。
(夜 景)
百万ドルの夜景だという。
山の上に登ってみた。皆 ”ホウこれが百万ドル”とテメエが買ったもののように感心していたが、神戸・長崎・函館など日本の三大夜景と比較すると、どうも日本の方が密度が濃くて美事なように思うが・・・?。拡がりと俯瞰度はさすがだが、明るさが今ひとつーーーまさか不況のせいでもあるまい。高いところから初めて街の灯を見た偉い人が ”オオ!ミリオンダラー”とつぶやいたのが、実物以上に言葉の方で拡がっていったのではないか?。土筆生の正札はまあ せいぜい”七十万ドル ”と言ったところか。
マ カ オ
(賭 博)
香港から水中翼船で一時間とちょっと。ポルトガル領マカオは、ラスベガス・モナコと並んで世界でも有名な賭博の街。・・・賭博場はホテルの大広間みたいな感じで厚い絨毯が敷き詰められ、おなじみルーレットが昼間からカラカラ回っていた。
いろいろあるカケの中で一番簡単なのは「大・小」。ーーーサイコロ三個がふせた透明なコップの中にある。ボタンを押すと中のサイコロが踊る。出た目の数の合計が十以上だと「大」、九以下だと「小」。・・・客は「大・小」いずれかの枠に現金を直接賭ける。「大」に賭けたとする。「大」が出ると金を乗せた枠に電気がつき、掛け金が倍になって戻ってくる。「小」の枠のお金は胴元がザーッと手前に掻きこむ。テクニックもポーカーフェースもいらない。玉が入ればチューリップが開いてジャラジャラと玉が出てくるパチンコの感じ・・・単純明快。
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大・小で絶対に儲ける方法があるという。・・・その時の気分で大・小どちらかを選ぶのではなく、大か小か、負けても負けても、最初にハッタ方にはり続ける。ただしその度に賭けた額の倍以上をハッていく。・・・丁か半かの勝負だからそのうち必ず自分のメが出る。出たところでやめれば、元金以上のものが必ず入ってくる勘定。
ところがバクチの神さまもいたずらで、ある時十二回同じ目が続けて出たというーーだとすると、単純に一ドルから始めたとして1・2・4・8・・・イチロク・ザンニ・ロクヨン・イチニッパ・ニゴロク・・・といって一ドルが約四千百ドル(百二~三十万円)。十ドルからだと千二百万円。やはり賭博はオソロシカ。
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街のはずれにドッグレース場がある。土・日・祭日しか開かないというが大変な人気だという。競馬は逃げ切りとか、追い込みとか騎手の駆け引きが勝負を左右するが、こちらは畜生そのものの勝負。号砲と同時に機械で走る兎の模型を追って、始めからゴールまで全力疾走。四百メートルを二十五秒くらいで走り抜ける。その勝負の早さとスリル、八百長の余地のない勝負がうけて、主催者は笑いがとまらないという。
フィリッピン
(洋上慰霊祭)
船がマニラに着く前、コレヒドールとバターンの近くの海域で慰霊祭が行われた。
真夏の太陽・紺碧の海・白い波頭。今は静かな海だが、太平洋戦争で日本の輸送船が、着けば奇跡といわれるくらい米軍の潜水艦に沈められたところだという。乗客四百人のうち,父や兄,親戚をここで亡くしたという人が二十六人もいて、今更のようにあの戦争の傷跡の大きさに驚く。
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遺族代表の弔辞「海底深く眠っておられるお父さん、お兄さん淋しかったでしょう。私達は今平和な日本からこゝまで参りました。どんな気持ちでこの船を見上げておられるでしょう・・・」翩翻とひるがえる日章旗。全員で ”海ゆかば みずくかばね・・・”を斉唱。菊の花を一人ひとり海中に捧げる。ほほを流れる涙・・・。
(日本人)
フィリッピンは、ルソン・ミンダナオ等十一の大きな島と七千余の小さな島から成る国。永い間のスペイン統治の影響で東洋一のヨーロッパ風の国。心底のところは計るすべもないが、どういう訳か対日感情はいゝ。子供も大人も無邪気に手を振ってくれる。人がいゝのだろう、買い物をするとき「必ず物を受け取ってから金を払え、相手に悪気はなくてものんびりした国民性、金を受け取って物を渡すのを忘れることがある」という。
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ここにも日本人。フィリピナホテルの客の八割は日本人だという。ハダシで新聞を売っている子供が ”ホテルは?フィリピナ?”と日本語で聞く。”ボク・カワイソウ”と誰が教えたのかお腹を押さえて、はっきりした日本語でお金をせびる。たくましい若者が水牛の角、亀の甲羅、木彫り、パイナップル・・・を頭上にかざして観光バスの窓を叩く。
(恋の踊り)
「民族舞踊・海鮮料理の夕べ」というのに参加した。バンブーダンスを筆頭に、西部劇でおなじみ ”インデアン・ウソツカナイ”みたいな屈強な若者が、真剣な顔つきで戦いの踊りや、体を震わせメンドリの回りを羽を拡げながら回るオンドリのような恋の踊りを見せる。
(乗り物)
マニラも戒厳令下。建国の父サンホセの銅像に、着剣の兵士二人が、二十四時間、立哨・巡回している。
街のたたずまいはのんびりしているがやはり車は多い。ジープを改造した乗り合いタクシー ”ジプニー”が目を引く。フェンダーの上・フロントガラスの回り・屋根の上、いたるところにデコレーション・・・(バックミラー・馬・飛行機の模型・テープ・風車・ラッパ・・・・何やら分からない光ったもの・・・)を装着して、ハデを競い合っている。羽を拡げた孔雀の色合いをドギツク極彩色にしインデアンの装飾を金具でつけたようなーーーといってもまだ表現が足りない。
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観光を終わって船に戻る時、波止場入り口のチエックポイントで警備員が四~五人談笑していたが、中のテーブルに自動小銃が無造作に置かれニブク光っていた。