時 計 (80)
近頃デジタル時計というのが流行っている。時計屋で売れる時計の八割がこの型式だと言う。置時計は文字盤が一分ごとにパタリパタリ変わってAM:10:08といった具合に文字盤が現れる。腕時計では文字盤上の数字がPM08:20といった具合に表示される。なるほどこれなら子供でも数字さえ読めれば ”何時何分”と判って便利である。
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しかし、考えてみると、従来の時計は長針と短針で、経時とともに円盤を分量的に区切ることで時間を表していた。
例えば、十二時二0分の長針は、文字盤の一時間の1/3の経過を示しているので、一時まであと2/3時間の分量を残しており、時間を読むのではなく、円盤の面積の量の多少で時間を見ることができた。ところがデジタル時計ではそうはいかない。
自動車の運転練習で、「ハンドルは左右の手を十時十分の位置で持ちなさい」と教えられたが、これだと難しい説明をしなくてもピタリその位置が掴めたものである。
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戦争中、飛行機に乗っていて敵機の位置を知らせるのに、これは敵味方を問わず ”3時の方向” ”十二時の方向”と表現していたのは、これ以上便利な方法がなかったからだろう。
古い時計にもそれなりに捨てがたい味があると思うのだが、いずれはすべてデジタル時計にとってかわられるのだろうか。
結 婚
くっついたり離れたり、週刊誌にネタを提供するために生きている。・・・いや週刊誌にとりあげて貰うことで名前を忘れさせまいとする芸能人が多い。そんな中で珍しくおしどり夫婦として有名で、しかもいい仕事を残している俳優H・Nさん、Y・Mさんへのインタビュー。
「おしどり夫婦と言われるほどの、結婚生活の秘訣は?」。
彼、彼女の前で即座に答えて曰く、「寛容と、忍耐と、諦めです」。結婚生活十六年目の感想である。
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芸能界に限らず、離婚理由のトップは ”性格の不一致”だという。だけど、考えてみると、男女の或いは人間の性格が一致する訳はないのであって、もとは他人同士の二人の人間の生活が一つ屋根の下でうまくいくかどうかということは、とどのつまりは、相手の生き方、考え方を許せるかどうか、ということではないか。
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彼がさりげなく言った ”寛容・忍耐・諦め”・・・という言葉の中には、随分時間を含んだ重い意味が含まれていると思うのだが、如何なものか。
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武者小路実篤さんの色紙、かぼちゃとジャガイモの絵の添え書きではないが、「君は君、我は我なりされど仲良き」というところか。
惜 別
春ーーー庭のそこここに緑の新芽が吹き出す。永い冬の間まさにこの時のために蓄えておいた命が、一度に吹き出すという感じである。水仙がすくすくと伸びてくる。椿が深紅の花をつける。梨の木が桜と見まがうほどの白い花を咲かす。沈丁花が一斉に開く、庭中むせるような香り。二~三日飲んだくれて庭に心をやる余裕を忘れていると、庭の様相が一変している。
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この庭の盛りを取っておきたいーーーと思うのは、無風流な土筆生ですら心底願う想いである。しかし、考えてみれば、もしもこの庭の様相が一年中今と同じであれば、散ることを惜しむ情緒は湧いてこまい。雨が降っても、風が吹いても、満開の花が微動だにしなかったら、それはもう花とはいえまい。
月は欠けるからこそ,一瞬の満月に我われは想いを致すのではないか。
芸妓はん
例によって蜂の喧嘩(さしつ・さされつ)で、静岡支店のT・Sさんに教えて頂いた。
「芸妓はんとホステスの見分け方を知っているかい。・・・本当に仕込まれた芸妓はんはな。
一、客席で、出ている食べものに手を出さない。
二、自分の好きな人の横に座らない。
三、パンツの筋目が着物の外に表れない。
四、腕時計をはめていない。
この四つが守れないのが、ホステスはんやな」。