一 言 (87)
”人生は出会いである”ーーーちょっとキザな言葉だが、ある一冊の本との出会い、ある人との出会い・・・がその人の人生を変えることがある、という。
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週刊朝日の名編集長、扇谷正造さんから聞いた駆け出し時代の話。
彼は青森支局が振り出しだったそうだが、最初の半年くらいいつも他社の記事に抜かれっぱなしで意気消沈。支局長に申し訳なくて、意を決し辞表を出したと言う。ところが、その支局長、「君はまだ見習い中だから、辞表を出す資格はない」と言い、目の前でその辞表を破りながら、更に続けて「よそのあんな記事が何だ。君だって良い記事を書いてるじゃないか」と励ましてくれたと言う。
その一言に自信を得て、今日の自分がある。と述懐しておられた。
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我々が何気なく話している言葉。特に ”長”と名のつく人の部下に対する言葉の一言。親が子に対して吐く一言が、時に人を殺し、時に人を活かす、ということ。「話す」ということに、我々はもっともっと気を配らねばならないと思う。
「綸言汗の如し」・・・出した言葉は戻らない。
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バ レ ー
TVでバレーを見るたびに思うのだが、例えば ”白鳥の湖”・・・女性のこの世のものとも思えないしなやかさ、繊細な姿態の美しさ。
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それに比べてあの男の目障りなことはどうだろう。あれも芸術なのだろうが、あれを見ていると、どうもそのうちに、かつぎ屋に見えてくるのは俺だけだろうか。
第一、女性の方のふくらみは夫々に「美」であるが、男の方のふくらみは、どう贔屓目に見ても、形としては無駄である。何故あんなにぴったりしたタイツをはくのだろう?。
師走・人生
”油断して 十三月が 欲しくなり”という川柳があるけれど、もたもたしているうちに今年も押し詰まって、はや師走ーーー。
近頃、世の中が騒々しいせいだろうか、一年の経つのが早くなったような気がする。子供の頃は、もっと日も月も年も長かった。万葉時代は、大人でももっとのんびりと悠長な生活を送りながら一生が長かったのではあるまいか。
だけど、その割にはつい五~六十年昔の,大正時代の日本人の平均寿命が五十年で、現在が七十余年というのはどういう訳だろう。
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先日、定年退職された大先輩と話していたら ”私と同じ年生まれの00さんが急に亡くなられてね”・・・とその人との思い出話を暫し話された後 ”△△さんも□□さんも・・・と、そんな報せを聞くたびに,至近弾がだんだん近くに落ちてくるような気がする”。と笑われたのが妙に耳の底に残っている。
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大分以前、米山先生が講演会で、受講生を前に 「あなたの人生を、あなたは何に向かって歩いていますか?」と質問された。
”さて・・・”と戸惑って考えていると、黒板に墓標の絵を大書し、これに矢印を向けて「誰であろうと、毎日毎日墓場に向かって歩いているんだ」!。とカッパされた時、背中をどやされたような気がしたことを思い出す。
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飛行機事故で、大勢の人が悲惨な死に方をし、大々的に報道されても飛行機を利用する客は減らない。人間と言うものは、実は何の保障もないのに、何故か自分だけは大丈夫という潜在意識がある。「その時はそのときさ」と、はっきり達観し、気持ちを整理して割り切っている訳でもないのに、これらの問題を無意識のうちに何となく避けて通ろうとする弱さがある。それとも、至近弾を何発も食らっているうち肚が座ってくるのだろうか。
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どうも年末のせいか、わびしい話になってしまったが、吉川英治さんが晩年、息子英明氏に送った手紙に「生命を楽しみ給えよ」と書いた気持ちが判るような年になってきた。
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とにもかくにも、十二月、来年はどんな年になるか知らないが、お互いの人生を大事に生きていきましょう。