言 葉 (89)
日本語には、そのものをずばり言ってしまわないで、えん曲な言葉に意味を持たせていう滋味掬すべき言葉が沢山ある。
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「還暦」・・・人間、六十歳になると、子・丑・寅・・・の干支がひと回りしてもとの干支にもどる。という意味だと言う。六十年前のエトに戻ると言うので赤いちゃんちゃんこを着せられて祝う。
七十歳になれば「古希」・・・というのは、「人生七十、古来希なり」という漢詩の一部からとったもの。
八十歳は、八十と言う字を重ねて「傘」と言う字にみたてて「傘寿」。
八十八歳になると「米寿」。めでたい末広がりの八十八と言う字を一字に組み合はせて「米」と読んだところが面白い。
さて九十九歳のことを「白寿」というのは?・・・。「お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで・・・」の白髪・白髭にかけたものだろうが、百という字から上の一を引けば「白」=九十九とは考えたものだ。
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伝統の相撲界にも良い言葉が多い。
「勇み足」というのはどうだ。勝負には勝っていたのだが、自分の足が先に出ていてルール上では負け、これを「勇み足」とはよく言ったものではないか。相手を倒した勢いで、自分もおっかぶせて倒れる。このとき自分が先に手をついても、相手を守るためについたのだから、これは 「かばい手」でOK。
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心ならずも黒ボシ続き、初めて勝った白星で「初日が出た」・・・相撲というものは勝つものだ、勝たせたいというゲンをかついだ心情が吐露されている。このほか、勝負が微妙すぎて言葉では線が引けない勝ち負けを、”生き体か” ”死に体か”という見方で判定するなんざ、日本人でなけりゃできないことだろう。
昔、日本海側のことを裏日本と言ったが、何故太平洋側が表日本で、日本海側が裏日本なのかといちゃもんがついて、今では「日本海側」と呼ぶことに落ちつているが、相撲では昔から、土俵の正面の向こう側は裏正面と呼ばないで「向こう正面」というのもよくできている。
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ついでに言葉ではないが、二月八日は「針供養」の日ーーー。
ご婦人方が、日頃お世話になっている縫い針に感謝する日。昔からのしきたりで、この日ばかりは、針に楽をさせたいと豆腐に針を刺してその苦労をねぎらう。
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日本人が長い文化の中で育ててきた、このようなものの考え方・感じ方を大切にしたい。
能 面
能面は、あの何ともいえない無表情の表情の中に,人間の喜び、哀しみ・・・喜怒哀楽すべてのものを含んでいるんだという。
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能面と比較するのではちょっと奥行きが違うが、人間誰もが悩みごとを抱えてないものはいない筈である。
だけど、それをいつも外に出して、いかにもイライラしている人もあれば、何食わぬ顔をして、自分の中で消化している人もいる。
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”男はだまって何とかビール”というCMがあった。顔で笑って心で泣いて・・・と言えばナニワブシめくが、太鼓は中が空っぽだからでかい音を出す。人間拱手するが故に両腕なしと思うなかれ。
有るはずの悩み、苦しみを他に感じさせないで平然としている人を偉いなあと思う。特に我々には想像もつかないけれども、長の長たる人には公私を含めてどれだけの悩みがあることだろう。だけど、日常の態度にはおくびにも出さないで、悠々と生活し一言もぐちらないで、楽しく酒を酌み交わしてくれる。そんな人と接するたびにつくづく見習わなけりゃならんと思う。
気に入らぬ 風もあろうに 柳かな
ブーツ
今冬、女性のブーツ姿がやたら目につく。保温の役目を果たして温かいというが、保温だけの目的なら,ほかにもっと良い方法もあろうと思うが・・・。
いずれにしても、折角の脚線にナチスの親衛隊みたいな長靴をはいて、カツ・カツ・カツと向こうから歩いてこられると、そのまま近寄ってきて、あの足でコカンでも蹴上げられたらどうしよう・・・と恐怖に近い何かを感じる。
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アメリカでもウエストポイント、アナポリス、コロラドスプリングスといった、陸・海・空軍の幹部を養成する士官学校にも女性の入校を許可する時代ではあるが、日本でも女性のイデタチが勇ましくなるにつれて、男のほうはますます軟弱化していく・・・。この世相をどう見たら良いのだろう。