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02-Jan-2013

ミ グ 25         (91)

 S・五一・九・六、ソ連のベレンコ中尉(二十九)が、”私は自由が欲しい”と国家最高の秘密兵器ミグ戦闘機をかっぱらって函館空港に逃げてきた。
 それも単なる思い付きではなく、二・三年前もからひそかにチャンスを伺っていて、たまたま燃料満タンでの飛行訓練中,三機の最後尾について徐々にスピードを落し,僚機をまいてレーダーに見つからないように超低空で脱出ーーーという綿密な計画を実行したのだという。何しろマッハ3・ナンボという飛行機、僚機もどうしようもなかったのだろう。

 ところで、話はここからなのだが、このニュースを聞いたとき、何故か彼は独身だろうと思った。脱出の意図が途中でバレれば撃ち落されるか、捕まれば反逆行為で軍法会議。相当の罪は免れまい。妻子がいれば、たとえ自分はうまくいっても残った妻子はどうなるか判らない・・・だから、そんなことが出来たのは当然「独身」ーーーと勝手に思った次第。

 ところが彼には妻も子供もあった。家庭がうまくいかず、二・三年前から奥さんと別居中だったという。詳しい内情は判らないが、報道によれば,奇しくも脱出の想を練り始めた二・三年前というのと、別居を始めた期間が一致している。
 今度の思いがけない事件で、日本もびっくりしたが、当のソ連はもっとたまげただろう。それにしても彼が逃げ出したかったのは、国からだったのだろうか、妻からだったのだろうか?。

 中国の毛主席が、八億の人民をとにかく纏め上げていながら、奥さんの江青女史一人をどうにも出来なかった例や、哲人「ソクラテスの妻」の例を引くまでもなく、やはり女はオソロシカということか。

          九   州          
 
 九州で観光バスに乗った。団体旅行である。そのバスガイドさんの態度に感心した。あちらこちらの名勝で降りて見物するたびに ”次の発車予定時間は何時何分です”とマイクで告げる。・・・見物に降りたが,つまらなかったので予定時間より三十分も早く一人でバスに戻ったのに、そのガイドさん、ちゃんとバスの入り口に立って ”お疲れ様でした”と待っていてくれた。

 座席が大方ふさがると、そのたびに人数を確認するのだが、数える前に車内全員にチョコンとお辞儀をして、歩きながら両側の人数を数えていく、数え終わるとまたチョコンとお辞儀をして入り口で後の人を待つ。このお辞儀がまたバカ丁寧でなく実にさりげなく身についていて、無意識に近いのが爽やかでいい。

 宮崎には、年間八00万人の観光客が訪れるそうで、特に新婚さんに人気があると言う。ガイドさんの話によると、昔は新婚さんと言えば、帽子をかぶり、小さな花束を持っていることですぐに区別がついたが、今ではGパンにTシャツといった型破りの方が多くて全く判らなくなってしまったそうな。

 九州の最南端・桜島。桜島大噴火記念碑公園がある。”ヨカおごじょ”が、久留米カスリで頭に桶を乗せ、にこやかに記念写真のモデルになってくれる。ホントらしく見せるために桶の中には一kgの小石がいれてあるという。
 いずこも同じ、土産物屋は売らんかなのサービスこれ努めているが、スピーカーから流れて来た曲が ”知床旅情”だったのはどういう神経か?。

 桜島が、時に原爆のきのこ雲型の巨大な噴煙を噴き上げる。この灰が風向きによっては鹿児島の市内にモロに降ってくる。山の上から市内を見ると、街がかすんで見えないほど。街の中では駐車してある車のフロントガラスに目に見えて砂が積もっているし、道路では車が通ったあと砂塵がワッと舞い上がる。
 ところが街ゆく人は心得たもの、雨でもないのに傘をさしたり、新聞紙を頭にのっけたりして平然と歩いていく。まさに ”その時すこしも騒がず・・・”全く当然のことみたい・・・、さりげない所作が、初めてみる目にはむしろ異様に見える。

 そこで、商売がら製油所のことを思い出した。煙を出すための煙突から ”ケムリが出てる”とわざわざ電話をかけてくるような人は、ここでは一体どこに電話するのだろうか。

(77・S・52・4)