教 育 (95)
明治維新。新政府の偉大さは乏しい財政の中から、まず手がけたことが、日本中に鉄道の幹線を引いたことと、日本中どんな辺鄙なところへも小学校を作ったことだったという。まさに国家百年の計である。
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ところが、これを受け継いだ百年後の現在はどうか。”教”はあれども”育”はなし、全くびっこの教育態勢であることに間違いない。
本来教育とは、その字の通り、「教え・育む」ということではないのか。
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子供の教育がいかに人間を変え国家を変えるかは、昔、戦争に負けるまでの日本やドイツの例を引くまでもなく、現在でも同じ民族である中国人が、台湾と中国で、どんなに意識が異なるか、韓国と北朝鮮の例をみても一目瞭然。教育によって同じ民族を敵対関係におくことも出来るのである。
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ちょっと古いが、PHPという本から成る程と感心して抜粋していたものがあるので、駄弁を弄するより、そのまま転載させて頂く。
「(略)校長先生の命令には絶対に従うべし。校長や先生が教室に入るとき、教室を出るときは起立して送迎すべし。先生に答えるときは起立、先生の許可あって着席すべし。校長と先生に敬意を払い、校長や先生に道で出合ったときは、礼儀正しくお辞儀をせよ。年上のものを尊敬せよ。老人・幼児、弱いものに親切丁寧であれ。道や席を譲りあらゆる援助をせよ。親のいう事を聞き、手助けをし弟妹の面倒をみよ・・・」。これはソ連の小・中学校で、省令として公布されている ”生徒守則”の一部で、この規則を破った生徒は、退学の罰を負うということである。中国においても同じような規則が作られていたというし、欧米諸国においてもこれと同じようなことが説かれているという。
どこの国においても、たとい主義主張が違っても、人間として大事な基本のところは万国共通、人みな共通である。だからやはりどこでも誰でも大事にするように教える。
礼儀とか道徳とかいうと何となくうとましいものように思うわが国の昨今、お互い世間知らずであってはならない。
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「教育とは、勉強したり覚えたりしたものが消えたとき、何が残るかの問題です」。(英国保守党首・マーガレット・サッチャー)。
戦 争
タクシーの運転手のぼやき・・・。
「”歩行者優先”って言うでしょう。確かにそれはそれでいゝんですよ。だけど、これは運転する側が知っていて気をつければいゝことですよネ。それを小学校で ”道路を横断するときは、手を上げて・・・”なんて子供に教えるもんだから、判断の回らない子供は、手を上げれば車はいつでも止まってくれるもんだと思い込んでしまうんですネ。だけど、手を上げられたからって、こちらはそんなに急に止まれるもんじゃありませんやネ。」
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「この前も子供が、一人で手を上げて渡ろうとしたんで、車を止めて言ってやったんですよ。キミ、この車の後ろを見てごらん、この車一台きりで、後には全然車は来てないじゃない。どうして、この車が通った後でゆっくり渡らないんだってね。どうして近頃の学校は、自分の権利のことばっかりで、相手のことを考えるってことを教えないのかねエ」
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「それにしても何ですエ。昔我々には ”修身”って科目があって ”木口小兵ハ死ンデモ ラッパヲ口カラハナシマセンデシタ”なんて教えられたもんですが、現代は、鉄砲撃つ戦争じゃないけど、代わりに交通戦争ってのがある。この方が戦争中の死者よりもずっと多いって言うじゃありませんか。年がら年中戦争しているんですからねエ。どうでしょう、修身の代わりに ”交通”なんて科目を作って教える必要があるって思うんですがねエ」。
傘
”雨が降ったら傘をさせ”
どうしようもないことを、いやだいやだと眉間にしわを寄せて、ぼやきながら暮らすのも一日なら、そのことは自分の力ではどうしようもないと諦めきって、サラリと受け流して暮らすのも一日。
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結局人生は、その一日一日の積み重ね。自らの気持ちの整理の仕方で、この人生の幸・不幸の大部分が決まるのではないか。
晴るゝ日は 晴れを楽しみ
雨降れば 雨を楽しむ
そんな気持ちを持てるようになりたい。
(77・S・52・8)