記 憶・片 々
「昔のことは鮮明に思い出せるのに、二三日前のことが思い出せない。時に昨日食べた夕食のおかずが思い出せない・・・」のが老化現象のハシリだそうだ。と言ったら「昨晩のおかずが思い出せないってのはまだいいほうですよ。今朝、朝飯を食べたかどうか思い出せない人があるんですから・・・」とY・T氏にいわれた。幸い土筆生はまだそこまではいっていないけれどーーー。
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新入社員の頃、下松製油所の人事課で最初の仕事が給与計算だったが、その当時五百人位いた社員の名前は、今でも姓を聞けば名ーーーと、ほとんどの人の「姓・名」がセットになってすらすらと出て来るのに、それにひきかえ・・・の近頃の具体的な例は ”実は、アタシも、ソレガシも”というお方々の想像におまかせするとして・・・。
そんな訳で,今月は「記憶」についての片々。
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この「記憶」というもの、自分の過去で思い出したくない記憶は、神様が時の流れの中で自然に忘れるようにして下さっている・・・とか。
子供の頃の記憶で、あんなに大きかった川が実はこんない小さかったのか、というのは、当時の自分の体の大きさ、目線の高さからもまあ納得がいくが、命がけの体験で鮮明に記憶している一連の事柄の中で、何故かある部分が全く欠落していると言うことがある
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土筆生の場合、去年書いた原爆の話の中で、投下直後に降ったという「黒い雨」のことが何故か記憶に残っていない。いろんな記録によると直後に「黒い雨」が降ったというのに?。
それから、家周りの被害の様子は具体的に覚えているのに、それらをどう処理したのか・・・その日から直接生活に関係した筈なのにそこらの記憶が判然としない。何故その部分だけが消えてしまったのか・・・?。
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ただ「記憶」については個人差が大きく、同窓会で何十年ぶりに会った友人と話しているうちに ”ああ、そういえば・・・”とおぼろげに思い出すような中学時代の先生のあだ名、いろいろあった事件の内容から、それに誰がどう関わりあってどうだったという話をびっくりするほど詳しく覚えている人もある。
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それから感心するのは、ずっと昔のゴルフや麻雀のことを「○○ゴルフクラブで誰と誰と一緒に回ったとき、あのX番ホールでお前の打った球が林に入ってヨ。それを出そうとしたのが木に当たってハネタのがバンカー・・・。結局お前がダボで俺がパー・・・。あの時は△△が優勝してブービーが□□。そいで帰りの十九番ホールはXXで飲んで・・・」。
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「・・・あのときトイメンが切った西をXXがポンしたおかげで、一枚しかないパイパンを□□がハイテイでつもりやがってサンアンコー。親のリーチのデン・デン・デン・・・」といった話を昨日のことのように覚えている人もある。欲と恨みの二人連れとはいいながら、聞くほどにホトホト感心もするし、それに引き替え・・・と自分のコンプレックスがますます深まってしまうばかりである。
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しかし「記憶」というものは、多かれ少なかれ時の流れの中で、徐々に美化されたり作り変えられたり、忘れられていったりするものであることは疑いない。
次は土筆生の好きな作家、吉村昭氏の力作「戦艦・武蔵」の後書きの一節である。
「資料集めには、いくつかの障害があった。(略)・・・しかも、それらの方々から聞いた話は時に不確かなものもあって、組み合わせてみてもどうにも合わない部分が出てくる。(略)。
ある日、当時武蔵の建造に関係した技術のかた六名に、座談会のような形で話をして貰ったことがあったが、五年間も腕に巻きつけていた腕章の色が、六名ともすべて異なっていたことがあった。そうした記憶違いは、数限りなくあった」。
(90・H・2・11)