Pirika logo
JAVAと化学のサイト

Pirika トップ・ページ

Pirikaで化学

ハンセン溶解度パラメータ(HSP):

雑記帳

片々草はじめに

片々草(I) 目次

片々草(II) 目次

悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

Last Update

02-Jan-2013

自  然

 駅のホームで電車を待っていたら、向こうの線路のところで、何かチロチロ動くものがある。よくみると雀が二羽チョンチョンと動き回っているのだった。何も遮蔽物のないところなのに土色と黒の羽の色のおかげで、よく見ようと目を凝らしてみてもちらちらと姿が見えなくなる。

 TVのCMで、植物が子孫を残すために鳥や昆虫に綺麗な花や香りで誘って蜜を与え、その代わりに花粉を運ばせて実を結ぶ。自分ではじけて種を遠くに飛ばす。風に乗って飛んでいく・・・。そうしたいろんな様子を綺麗な映像でみせてくれ、たくんまざる自然の知恵に感心させられる。

 何の不思議もなく見慣れている卵。どの鳥の卵も大小はあっても完全な楕円形ではなく片方がやや尖った形になっている。あれは、親鳥が巣の中で満遍なく卵を体温で温めるために、腹の下の卵を足でかきまわすだけで、卵が回りながらまたもとの真ん中に集まってくるようにあのような形になっているのだという。

 自然界の神秘ーーーそんなことにいちいち驚いていたんじゃきりがないかもしれないが、手をかけないで産み落とされる「卵」が、誰の意思が働いたわけでもないのに、どれもちゃんとその期待に応えた形で生まれてくるということは、やはりどう考えても驚きだなあ。

          文  章

 貴重な誌面を使って申し訳ないが、今月は文章について少々お遊びを・・・。
 日本文は今では専ら口語体を使うが、ついこの間、明治時代には文語体が使われていた。それを二葉亭四迷・尾崎紅葉といった新進作家が「書く文章も話すとおりに書いたらええやないか」・・・という「言文一致」運動をおこし、その作品に話し言葉を使い始めてから今日の文体が普及したという。
 ところが、この高名な先生方には申し訳ないが、この口語体と文語体、同じ文章を二つ並べてみると、どうひいき目にみても文語体の方がはるかに美しく短く表現できると思うのだが如何なものか。

 思いは同じ、門田勲の「古い手帖」に教育勅語と聖書の比較が出ていた。
 教育勅語ーーー「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」というところは口語では「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて国の平和と安全に奉仕しなければなりません」・・・とある。ただの十三文字の原文の意味を伝えるのに、口語体ではこれだけの説明が必要になってくる。

 新約マタイ伝。第十五章・口語訳「イエスはいいました。”あなたがたはまだ悟っていませんね。すべて口から入るものは、みな腹を通って厠へ落ちると言うことを知らないんですか」。
 同、文語訳「イエス言い給う。”汝ら今もなお悟りなきか、”およそ口に入るものは腹にゆき、遂に厠に棄てらるることを悟らぬか」・・・。
 どうです、「イエス言い給う・・・汝ら、今なお悟りなきか」・・・どうみても文語文の勝ちですな。

 かと言っていまさら文語体で文章を書くわけにもいかないが、ついでに文語体の美しさ、簡潔さのお手本に、日露戦争の時の歌「水師営の会見」をあげておく。オヌシ古いな・・・とお笑いめさるな。お疑いの向きはこれを口語体に訳して御覧なさい。
  ・・・敵の将軍ステッセル/乃木大将と会見の/所はいずこ水師営
     庭にひともと棗の木/弾丸あとも著じるく/崩れ残りし民屋に
     今ぞ会い見る二将軍/乃木大将は厳かに/み恵み深き大君の
     大みことのり伝ふれば/彼かしこみて謝しまつる
     昨日の敵は今日の友/語る言葉もうちとけて
     彼は讃へつ我が武勇/我は讃へつ彼の防備・・・云々

 どうです、簡にして明、子供の頃覚えた、これだけの文がすらすらと出てくるのもやはりも文語体の簡潔さ、美しさのお蔭ではなかろうかと思うのだが、土筆生やはり古いのかなあ。
(91・H・3・5)