終 稿
土筆生宛、編集部からの手紙。
拝 啓
若葉の候ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
毎々日石スリーラインの「片々草」ご寄稿有難うございます。ご承知のことと存じますが、創刊三十周年を迎えるこの七月をもちまして、日石スリーラインを廃刊することになりました。(略)今後スリーラインに代わってSS向けに新しい雑誌を発行する予定でおりますので、今後ともよろしくご支援お願いいたします。
なお、誠に勝手なお願いではありますが、平成三年六月号までは「片々草」を引き続きご執筆お願いできれば幸いです。
敬 具
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早速,編集部に電話、念のため確かめてみた「今後ともよろしくご支援を、とあるけれど、”六月号までは・・・”ということは、六月号で片々草は終稿ということですか?」。「はい、そういうことになります」。
それでは、と早速担当の課長さんを訪ね、挨拶方々「終稿の弁は ”スリーラインの廃刊とともに片々草も終稿することになりました。長い間のご愛読ありがとうございました」と、三行ほど載せといてください。とお願いしたところ「そういう訳にはいきません。六月号ではちゃんと従来どおりの誌面をうずめて貰わないと」というわけで、いよいよこれにて終稿の弁「片々草」の最後をまとめなければならないことになった。
さて、・・・これで終わりかと思えばやはり感無量。頬杖ついてぼんやり窓外の緑を眺めながらいろんなことを考えるが、改まっての原稿も思い浮かばない。
最後と言うことであれば、せめて「片々草」の思い出でも遺しておくか。
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そうだ。日石の社内報 ”こうもり”に、近頃思うことのかけら・・・”片々”を集めた「片々草」を描き始めたのが昭和四十二年(67年)。思うところあってこれを九十九回で終稿。
そのあと”豚もおだてりゃ木に登る”という訳で、編集部の勧めで, こうもりと重複してもいいから・・・とスリーラインに再び登場して書き始めたのが昭和五十一年((76年)六月。
何度もこけそうになりながらも、時々の愛読者の方々の励ましに支えられて、自転車と同じで倒れないように何とか漕ぎ続けて、気がついてみたらここまで来てしまっていた。
はるけくも来つるものかな・・・指折り数えて一七九回、何と十五年である。
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そもそもの始まりは、日石社内報「こうもり」に今にして思えばキザな序文 ”つれづれなるままに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを書きつづれば・・・”といった兼好さんの向こうを張るつもりはさらさらないが、心にうつりゆくよしなしごとを・・・思いつくままに書きつづって見たいと思う。題して近頃思うことのカケラ・・・片々を集めて「片々草」。兼好法師ならぬ原稿奉仕というところか・・・」と書き始めたのだった。
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考えてみれば、こんな駄文にこんなに長い間貴重な誌面を提供し、その上五十九年には愛読者のために「片々草」の抜粋の小冊子を出して下さった広報部。その希望者頒布の”おしらせ”に自前の葉書を書いて応募してくださった沢山の見知らぬ愛読者の皆様・・・。
こけそうになった時々に励ましのお手紙を下さった長野のY・Mさん、富岡のT・Kさん、長崎のT・Sさん、大和のM・Yさん、千葉のM・Kさん、鴨川のT・Kさん、??のH子さん・・・。蜂の喧嘩(さしつさされれつ)で話題を提供してくれた呑み助仲間・・・。
本当に有難うございました。
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別れといえば昔より、この人の世の常なるを・・・
生者必滅会者定離。さようなら。
(91・H3・6)