表 ・ 裏
生まれてこのかた、表日本でしか生活したことがなかったが、転勤で裏日本に住むようになった。ところが格別方向音痴ではないつもりなのに、どうも地図が裏返しになったようで東ー西を逆に感じる。
(コトワリ)ーーー細長く四方海に面した島国日本で、なぜ太平洋側が「表」で日本海側が「裏」なのか、大体「表日本」「裏日本」という分けかたは怪しからん。・・・と裏日本ならぬ日本海側の人がこだわることは承知しているし、成るほどそうだ、とも思うけど、いかにも「ニホンカイガワ」というのは字余り的で語呂が悪い。そこへいくと、相撲界では土俵の「正面」に対して、反対側を「裏正面」ではなく、さらりと「向こう正面」と呼ぶなんざ、語呂もいゝし奇麗で、さすが伝統の相撲界ですな。・・・と話は横道にそれたが、コトの話の内容上、今回はあえて裏・表という言葉を使わせていただく。(アシカラズ)。
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さて、話を元に戻して、なぜ頭の地図の感じが裏表になるのか。ーーー原因は、表日本では海に向かって左が東で右が西になるが裏日本ではそれが逆になり、右が東で左が西になる。もひとつ、川の流れる方向による感覚がある。川は山から海のほうに向かって流れる。これが生まれながらに体の中に沁みこんでいて、川の上流→下流の方向と東西の関係が表日本と裏日本では逆になる。
これが頭の中では判っていて、地図を裏返しにして置き換えようとしても、体が覚えこんでいる感覚が抵抗して思うように切り替わらない。
別に方向音痴(方向に”音痴”、とは何事か ”方向痴”で十分だという人もあるが、広辞苑にも載っていることだからお許し願いたい)ということでなくても、何かの折に、車は正しい方向に進んでいるのに、反対の方向に連れて行かれているような気がしてならないことがある。
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そこで、ふと昔のことを思い出した。昔、国民皆兵で軍国主義華やかなりしころの中学生時代「教練」という科目があって、将来立派な兵隊さんになれるようにと整列の仕方、号令のかけ方、行進のしかた、鉄砲の扱い方・・・等々いろんなことを教えられた。
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その中で斥候(一人あるいは数人で、本隊から離れ敵地の真っ只中で、ひそかに敵状や地形を偵察して報告に戻る)に出たときの訓練があった。
斥候は当然生まれて初めてのところを歩き、行きっぱなしではなく必ず報告に帰ってこなければならない。そこで斥候に行くときの注意として徹底的に教え込まれたことは「地図で東西を見るだけでなく、ある程度進んで何か目印(木とか小屋とか石碑とか)になるものがあったら、通り過ぎたところで必ず後ろを振り返り、その目印を振り返った感じの景色を、構図として覚えながら進め」ということだった。
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「往く時見た景色の構図と帰り時見る景色(目印)は裏・表になり右・左が逆になる。しかも斥候に必要なのは帰り道だ」。「もし、道を間違えて本隊に帰れなかったら,斥候の役目はともかく、お前の命の一巻の終わりだ」。という。
教わったとおり進んだ道を途中で振り返ってみると、表に見た感じと裏でみたのでは、全く感じが違っていて「成るほど、いゝことを教えるわい」と実地に感心したことであったが、あなたも、何かの折お役にたつのではありませんか。
(81・S・56・2)