ま か せ る
田舎チームながら、二年連続甲子園出場を果した高校野球の監督Yさんの話を聞いた。
「監督就任当時は若かったし、張り切って細かい練習スケヂュールも自分で組み、練習のノックで手のひらのタコの上にまたタコが出来るくらいしごいたものでした」。
「練習の合間には、いい選手をスカウトするために、県下の中学校をくまなく回り、とにかく自分ひとりでキリキリ舞していましたが、どうしてか、その時代には勝てませんでしたねえ」。
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「ところが、ふとしたことから、部員にすべてを任せるようになってから、不思議に試合に勝てるようになったんです。手のひらも今ではホステスさんの手と笑われるくらい柔らかになりましたよ」。とY監督は笑ったが、その違いはどこから来たのかーーー。
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「振り返って考えてみると、自分が一人でキリキリしていた頃は、部員は監督の指示・命令で動かされるロボットだったんですね。意志のないロボットを動かすためには、すべての行動一つひとつを指示し監督しなければならないんですね。それじゃ監督はいくつ体が有っても足りませんし、第一全員を一人で見切れるものではありません」。
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「ところが、ふとしたことから部員にすべてを任せるようになってから、部員自身が作った練習スケヂュールは、かって私が作ったものよりずっとハードなのに、不思議にこれをのびのびとやりこなすんですねえ」。
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「仕事は楽だから楽しいんじゃない、自分達の意志で考え、工夫して決めたことをやり遂げた喜びが励みになって、これが次の飛躍につながる。好循環と悪循環のどちらに進むかーーー、最初の出だしは一寸したはずみで決まるんです。ところが、ふとしたはずみで、この任せたことがすべてのスタートになってチーム全体が好循環でスタートし始めたんですねえ」。
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「そして、そんなムードの中で、監督が目を光らせていちいち厳しくしごいていた頃と違うチームワークが出来上がってきていたんです。
チームワークとは、野球の連携プレーがぴたっといくようにするためのもので、それが目的だと思っていたんですが、自由にしてやり自分達で考え行動させることによって、チームメートの間にチーム「ワーク」以上の心の通いあいができていたのです」。
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「こんなことがありました。ある雨の中での試合のことです。ピッチャー(A選手)の失投で大飛球を打たれた。・・・あわやこれまでと目をつぶった瞬間、センター(B選手)がフェンスにぶつかりながら横っ飛びにその球を補球してスリーアウトーーー。勿論B選手は顔中・体中泥だらけーーー」。
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「ピッチャーは肩を冷やしてはいけない。雨に濡れるのは最小限にしなければいけない。ところがA選手がマウンドに立ったままベンチに戻って来ないのですね。どうしたのかと思っていると、AはB選手が外野から戻ってくるのを、雨の中に立って待っているんですよ。そして肩を並べて戻ったベンチで、Bが顔を洗っている間にAがひざまづいて後輩のBのユニフォームの泥を拭いているんです」。
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「これをみて、ああ俺のチームはここまで来たか、しごいてしごいて求めたチーム・ワーク以上の、”心の連携プレー”ができるまでに成長していたのかと感心しましたが、考えてみるとその頃から不思議に勝てるようになったんですね」。
(82・S・57・2)