注 意
誰でもそうであろうが、人を指導するのに一番気を遣うのが、叱り方(注意の仕方)である。
部下が(子供が)失敗をしでかしたとき、管理者(親)として、相手の非のあったところは注意しなければならない。
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失敗した方は、失敗したことは事実なのだから、叱られ(注意され)ても仕方がない。しかし失敗した方は、叱られ(注意され)なくても、失敗をしでかしたことでしょげている筈。そこのところの心の機微の捉え方が難しいのである。
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叱る(注意する)ということは、「質す」ことではなく「正す」こと。結果的に良くなればそれでいい。ただ、癇癪玉を爆発させるだけでは、自分の感情は満足しても、相手がそれでは収まらない。正しかれ、と思って注意したことによって、かえって反発を植えつけたのでは意味がない。
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あるベテランの管理者から聞いた話だが、彼は、部下(子供)を叱る(注意する)とき、その事実を諭した上で、必ず「君としたことが、一体どうしたんだい」という意味の言葉を付け加えるようにしているという。
「君の実力はもっと上だと思っているんだよ」・・・。失敗したことをきっかけに、もっと高い次元で認めてやり、はげまして締めくゝる・・・。この努力。
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例えば、子供を育てるのに、事ごとに駄目な部分を捉えて、「お前は駄目だ」 「駄目な子だ」と言い続けて育てた子と、良い面を拾い上げて「オヤ、やるじゃない」 「ヘエ、よく出来たねえ」と軽い驚きと関心を示された子とでは、子供の生活のはずみと、次のステップへの励みが違うだろう。
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好循環と悪循環のはじまりの第一歩は、ほんの一寸したきっかけ、関心の持ち方、方向づけから始まる。そして、それは管理者(親)の重要な仕事の一部でもある。
食 堂
急な出張で、時刻表に合わせる余裕もなく、とにかく上野駅へ出かけ列車待ちをした。一番近い列車までの時間つぶしと、腹ごしらえのため構内の食堂に飛び込む。天井の低い大衆食堂である。場所がら、時間がら、その食堂の忙しいこと、客は次から次へ出入りするし、注文される飲食物も、上野の大衆食堂らしく実に多種多様。
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それらを数人の若いウエートレスが実にてきぱきと応対しながら捌いていく。立ち止まって無駄話・・・なんて余裕は全くない。まさに動きづめーーー。ところが、このウエートレスの立居振舞いが実に明るくきびきびと清潔なのである。
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採用されるなり、いきなりこの忙しさの渦の中に放り込まれ、必死に自分の持ち場のサービスをすること以外に不平不満を考える余裕もなく勤め、「働く」と言うことはこういうことと思い込んでしまっているような雰囲気。
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「小雨数精鋭とは、精鋭を少数揃える」ことではなく、「少数が精鋭を育てることだ」というけれど、他のレストランや何かでよく見かける、如何にも暇そうな数人が屯して、TVを見ながらだべっているウエートレスと、この人達といったいどちらが幸せなのだろうか。
(78・S・53・10)