悲しき酒
遠慮しいしいまたまた酒について・・・
*
会社の帰り、駅前の屋台に頭を突っ込んで、一人でコップ酒をあおっている人がいるが、あの姿は何ともアル中的で、あわれでさもしく見える。そこへいくと、酒屋の土間でコップ片手に、シオ豆なんぞでキュッと飲ってる ”もっきり派”の方が、飲み手としては風格が上だと思うが如何?(五十歩百歩・メクソハナクソかな??)。
*
飲み手といえば、「呑み助のことを、”左利き ”というのは何故だか知ってるかい?」・・・「大工さんは、右手に金槌・左手にノミを持つだろう、つまり左手は”のみ手”・・・これを”飲み手”にかけたシャレなんだなあ」と、あの嘘つきの酔っ払いが言ってたが、ホントだろうか??。
*
ドイツ文学者の高橋義孝さんが、「同窓会で時々昔の仲間と酒を酌み交わしているが、年とともにだんだん物故者が増えて、自然に仲間が減ってくる。・・・そうして最後に残った一人はどうするんだろう?。・・・その時は、左手が右手に”おい、飲めよ”と勧め、次は右手が左手に”やあ、どうも”・・・と注ぐことになるのか」、と書いておられたが、先日、通勤電車の横並びの座席で、夜ではあったが、右手の瓶から左手の盃に一人で酒を注ぎながら、悠々と飲んでいる人がいた。何とも上には上がいるものですゾ。
*
飲み屋は混んでいなければいけない。いつ行っても閑散としている飲み屋というものは、空いていていゝようなものだが、不思議と落ち着かないのは何故だろう。呑み助というものは大衆酒場のケンソーの中で見知らぬ人と合席でも全く気にならず、むしろ、その方が話も弾むのはどういう訳だろう。
*
誰だったか、日本酒はヨコに酔う感じ、ウイスキーはタテに酔う感じ、といっていたが、 ”そんな馬鹿な”というのは下戸。或る程度の呑み助なら判らないなりに、何となく判ったような感じで ”うん・そうだ!”といった顔をするのではないかな。
*
呑み助の口コミの早さ、拡がりの広さーーー。たとえば、新潟の地酒「越乃寒梅」・・
多少の呑み助にこの名を出すと「ああ、あの幻の銘酒」とくる。ところが、この「寒梅」自体は全く広告宣伝はしていないと言うのだから、知っている人は何らかの関係で口コミで知った訳。呑み助の口というものは、大変な宣伝媒体ですなあ。
*
敬愛する呑み助、K・Iさんに教わった、水商売で成功する女性の五ケ条。
一、あまり美人過ぎないこと。
二、お客の名前と顔を一度で覚えること。
三、義理人情に篤いこと。
四、計算がぴしっと出来ること。
五、下着を毎日取り替えること。
というが、本当に五年ぶりに転勤先から戻り、くぐったのれんの中で、女将から”あら、00さんお久しぶり・・・”と言われたりすると、呑み助はこれだけでもう単純に感激するものナノダ。
*
飲み屋での話題はヤングがギャルで、ミドル(といえば聞こえはいいが、英語のミドルは”中年”にあらず、”おじん”のことと解すべし)。は専らヘルスというが、ある飲み屋で上司の訓戒。
「なあいゝか、お前達の年頃になったらナ、もういつどんなことが起こってもおかしくない年なんだ・・・ということをいつも覚悟しとかなきゃいかんぜ。
俺達の人生はナ、云ってみれば、あのトイレットペーパーみたいなものよ。巻きが大きいうちはゆっくり回っているけどヨ、巻きが小さくなるにつれてだんだん回るスピードが速くなってくるだろう。ナ、そしてある日最後がツルリと抜けたら蓋がパタンと落ちて、それでオシマイよ」。
*
大分いい気持ちになってきた。おつもりに酒仙・牧水の句一首。
考へて 飲みはじめたる 一合の
二合の酒の 夏のゆふぐれ
あまり知られてないけど、いい歌ですなあ。
(83・S・58・5)